全く個人的なお話になるのですが、昨年亡くなった趣味仲間が長年撮りためた電車・バスの写真を遺していました。このほどご遺族よりこれらの写真などを引き取り、仲間内でその扱いを相談した結果、写真については散逸させず、こうした場で公開していこうということになりました。著作権の問題が生じますので、何かで使用される場合はこのブログのコメント欄にてお願いします。
今回は初回ということで、1986年9月14日、270形電車の「さよなら運転」を須磨浦公園駅付近で捉えた写真をどうぞ。
む~パパ的には撮影者と同世代ということもあり、写真を見返すと昨日のことのように感じられます。
初めて投稿します。ブログはいつも楽しんで見ていますよ。私はこの頃まだ月見山駅近くに住んでいて、子どものときから見慣れた電車なのでとても懐かしい!このサヨナラ電車は私も東須磨駅で写真を撮りました。これからもどんどんいろんな写真載せて下さい。楽しみにしています。
村雨堂さま はじめまして。コメントありがとうございます。
子供の頃に慣れ親しんだ電車はいつ見ても懐かしく感じます。私も東須磨で生まれ小学校卒業まではいたのでお隣ですね。今後ともよろしくお願いします。
1986年といえば近鉄3200系、6400系、北大阪急行8000形などVVVFインバーター車の導入を始めていました。
山陽電車にVVVFインバーター車が初めて走ったのは、乗り入れ車両も含めると阪急8000系、阪神9000系、山陽5030系の順でした。
E7系とW7系さま コメントありがとうございます。
山陽電車は補助電源へのインバータ採用は比較的早かったのですが、主制御器は5030系まで採用されませんでした。5000系は添加励磁制御で3000系と同じ保守性に優れた直巻モーターを使えることが利点で阪急・阪神のように界磁チョッパ制御車が入らなかった理由でもあるのですが、その後は新造車そのものが途絶えたためVVVF車の投入が遅くなったのでしょうね。
当時は14歳で、実家の最寄り駅の西代、板宿駅の地下駅完成が楽しみでした。写真にもありますが、5000系や阪神8000系2次車登場など動きがありました。本社前の踏切付近のカーブの車輪の軋む音が懐かしいです。
よっしーさま コメントありがとうございます。
私は当時15歳でした。東須磨からは離れ山陽沿線には住んでいませんでしたが、5000系の登場には驚いたものです。阪神8000系の2次車はタイガースが優勝した年に登場しましたね。車内の壁が白く薄い市松模様になり、明るい雰囲気になったのが印象的でした。
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