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【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて

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全く個人的なお話になるのですが、昨年亡くなった趣味仲間が長年撮りためた電車・バスの写真を遺していました。このほどご遺族よりこれらの写真などを引き取り、仲間内でその扱いを相談した結果、写真については散逸させず、こうした場で公開していこうということになりました。著作権の問題が生じますので、何かで使用される場合はこのブログのコメント欄にてお願いします。

今回は初回ということで、1986年9月14日、270形電車の「さよなら運転」を須磨浦公園駅付近で捉えた写真をどうぞ。

270形は1959(昭和34)年、旧型車の車体更新車として登場したものです。同じ手法としてはすでに250形がありましたが、これは2000系と同じ形態の車体としたモデルチェンジ車で、270形と呼ばれていました。1次車270~273と2次車の274~289があり、末期は3両編成で普通列車用として活躍していました。
270形などの旧性能車は5000系の登場で全廃されましたが、これを記念して「さよなら運転」が実施されました。この車両は5両編成で営業運転されたことはなく、このような長編成は最初で最後でした。ちなみに山陽電車はまだ4両編成が最長だった時代です。
登場して間もない5000系。新車らしいピカピカの車体が印象的です。270形など最後に残った旧性能車を一掃するため3両編成7本21両が一挙に登場しました。登場時、クロスシートを備えていたのに普通列車専用でずいぶん贅沢な感じがしたものです。写真左には当時乗り入れていた阪急電車の姿が見えます。
5000系が登場した同じ年、在来車の塗装変更が始まりました。写真は初めてこの塗装になった3024号。まだヘッドライトケースや方向幕が現役最終時とは違っています。この車両もすでに過去帳入りしました。
こちらはリフレッシュ工事を受け現在も活躍中の3016号。1・2次車特有の出っ張った方向幕も今は見ることが出来ません。この車両はヘッドライトケースが更新されており、旧塗装時代にもライトケースが銀色の車両が存在したことが分かります。上の3024号はライトケースの中までクリーム色で、塗装変更とライトケース工事は別々に行われていたようですね。
3050形3056号。この編成より空気バネ台車となりライトケースも小さくなりました。ライトケースが銀色でガラスの入ったものになるのは3062号以降ですが、む~パパ的には3056のこの顔のほうが好きでした。側窓下段は当時固定化が進んでいたのか3016号や3024号の写真に保護棒は見えませんが、この3056号にはしっかり付いていますね。外観的には完全に原型と言えると思います。
3050形3100号。登場後3年ということでまだまだきれいですね。もちろん3両目に元祖ホワイトエンジェル3619号を従えています。

む~パパ的には撮影者と同世代ということもあり、写真を見返すと昨日のことのように感じられます。

【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて” への8件のコメント

  1. 初めて投稿します。ブログはいつも楽しんで見ていますよ。私はこの頃まだ月見山駅近くに住んでいて、子どものときから見慣れた電車なのでとても懐かしい!このサヨナラ電車は私も東須磨駅で写真を撮りました。これからもどんどんいろんな写真載せて下さい。楽しみにしています。

    • 村雨堂さま はじめまして。コメントありがとうございます。
      子供の頃に慣れ親しんだ電車はいつ見ても懐かしく感じます。私も東須磨で生まれ小学校卒業まではいたのでお隣ですね。今後ともよろしくお願いします。

  2. 1986年といえば近鉄3200系、6400系、北大阪急行8000形などVVVFインバーター車の導入を始めていました。
    山陽電車にVVVFインバーター車が初めて走ったのは、乗り入れ車両も含めると阪急8000系、阪神9000系、山陽5030系の順でした。

    • E7系とW7系さま コメントありがとうございます。
      山陽電車は補助電源へのインバータ採用は比較的早かったのですが、主制御器は5030系まで採用されませんでした。5000系は添加励磁制御で3000系と同じ保守性に優れた直巻モーターを使えることが利点で阪急・阪神のように界磁チョッパ制御車が入らなかった理由でもあるのですが、その後は新造車そのものが途絶えたためVVVF車の投入が遅くなったのでしょうね。

  3. 当時は14歳で、実家の最寄り駅の西代、板宿駅の地下駅完成が楽しみでした。写真にもありますが、5000系や阪神8000系2次車登場など動きがありました。本社前の踏切付近のカーブの車輪の軋む音が懐かしいです。

    • よっしーさま コメントありがとうございます。
      私は当時15歳でした。東須磨からは離れ山陽沿線には住んでいませんでしたが、5000系の登場には驚いたものです。阪神8000系の2次車はタイガースが優勝した年に登場しましたね。車内の壁が白く薄い市松模様になり、明るい雰囲気になったのが印象的でした。

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