楽しいむ〜さん一家

【3072号】復活!ホワイトエンジェル(その1)

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かねてより内装を中心とするリニューアル工事を受けていた3072号がこのほど完成し、試運転を経て先月末より営業運転を開始しています。久しぶりの大きな話題にむ~パパ、早速取材してきました。

3050形アルミカーとしては初めてリニューアル工事を受けた3072号。今回目を引くのは車体が白く塗装されたこと。溶接痕などアルミカー特有の汚れが目立つようになってきたためでしょう。磨き出しても元に戻るわけではないので、塗るほうがきれいに仕上がると判断されたようです。ただ、クリーム色の鋼製車と同じ色ではあまりにも芸がないと考えられたのか、やはり日本のアルミカーではパイオニアである山陽電車、かつてアルミカーに合わせた塗装で名をはせた3619号「ホワイトエンジェル」と同じ色(いわゆる灰色9号)に塗装されました。実にカッコ良いです!
(2023.9.2 須磨浦公園~山陽塩屋)

加古川橋梁で1両ずつサイドビューを狙ってみました。

3641(4号車)
3541(3号車)
3073(2号車)
3072(1号車)

各車とも屋根に付いていたベンチレータ(通風器)が外されています。ドアは全て新品に交換されていますが、ステンレス製で未塗装のため元のイメージを保っています。側窓もユニットサッシごと交換されています。従来のリニューアル車同様、車端部は1枚ガラスの固定窓となりました。ドア間は上段下降・下段固定とされていますが、鋼製車のように黒く塗装されていないため、こちらも元のイメージのまま。写真で見ると上段より下段が広くなったのが分かる程度です。床下機器には変化は見られません。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
3633号。現在鋼製車は3638号以外リフレッシュ工事を受けていますが、黒いサッシ窓や中央にレールのある側扉など、今回とは仕様が異なることが分かります。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
リニューアル工事前の姿を最初の写真と同じ「スマシオ」で。登場時は1号車3072号の補助電源装置がMGでしたが、写真はすでに140kVaのSIV(静止型インバータ)に交換された後のものです。
(2018.1.13 須磨浦公園~山陽塩屋)
少し資料を探してみたところ、MGを搭載していた頃の写真も発見しました。旧シンボルマークが付いていますね。ちなみに3072号は1983(昭和58)年、3100号と同時に製造されたもので、登場して数か月間はシンボルマークが付いていませんでした。(2007.2.6 東二見車庫)

それでは次回、車内を見てみることにします。

【東二見】保存された鉄橋を訪ねる(その1)

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東二見車両工場と言えば「山陽鉄道フェスティバル」でおなじみですね。正門を入ったところに保存車206号がありますが、これと一緒に鎮座しているのが・・・、
鉄橋の一部分。山陽電車は舞子公園~西舞子間でJRを越えていますが、かつてはその部分に使われていた鉄橋です。

現役時代。2000系特急が渡る懐かしい写真です。2008号がクロスシートですので1959(昭和34)年頃でしょうか。(写真:山陽電気鉄道)

この鉄橋、1917(大正6)年にこの場所に架けられたものですが、元々は1874(明治7)年、現在のJR東海道本線京都~大阪間建設時、イギリスから輸入され神崎川に架けられていた(上神崎川橋梁)もので、1987(昭和62)年に架け替えられるまで通算111年間、鉄道橋として使用されました。なぜ明治時代に架けられた官設鉄道の鉄橋が大正時代の山陽電車に使われていたかというと、鉄道草創期の鉄橋が車両の大型化や長編成化により設計重量が耐えられなくなったものの、軽い電車などが渡る鉄道や道路橋ならばまだまだ使えるということで、各地に払い下げられたためです。急速に産業が発達し、鉄道の輸送力が増大していった明治・大正期らしいお話です。

このように保存されている鉄道草創期の鉄橋は県内でもいくつかあります。


播磨中央公園で園内の歩道橋として活用されているこの鉄橋は、神戸電鉄粟生線加古川橋梁に架かっていたものですが、1889(明治22)年に水戸線で使用されていたとの記録があり、山陽電車同様、神戸電鉄が払い下げを受け1998(平成10)年まで使用されていたとのことです。こちらもイギリス製で現在東二見で保存されているものとそっくりですね。
鉄道橋ではなくなりましたが、現在も公道をまたぎ園内をつなぐ役割を果たしています。

各地に残る鉄道草創期の鉄橋。次回もご紹介します。
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