楽しいむ〜さん一家

ようやく「秋祭り」ヘッドマークを撮る

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ちょっと忙しくて「祭り」ヘッドマークを撮りに行けていなかった、む~さんパパ。さすがにこの週末を逃せば取り外されてしまうだろうということで、急遽出動!

神戸市内では比較的有名な撮影地である薬師踏切東方。む~パパ、結構久しぶりに来ました。とりあえず練習台になってくれたのは3072号。4両編成がギリギリ入りそうです。

直通特急5008号。運良く「秋祭り」ヘッドマーク付きを撮影成功!

そうこうするうちに新車6010号が下って来ました。曇っているのを良いことに上下列車とも撮り放題です。

ラグビーワールドカップヘッドマーク付きもやって来ました。これも、もう間もなく取り外しと思われます。

待つこと十数分。今日は旧塗装狙いで来てますので・・・。

「秋まつり」復刻ヘッドマーク。特に公式にはアナウンスされていませんが、これは1984(昭和59)年に掲出されていたものをイメージしたものです。

このヘッドマーク撮るのはもう最後かな~、と思いながら3030号を見送りました。

順番からすると、「観梅」までヘッドマーク無しの姿が見られそうですが・・・。
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【模型発売】山陽3050系ってどんな電車?②(3072の場合)

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山陽電車のNゲージ模型化プロトタイプとして選ばれたもう一つの車両、3072号についてご紹介します。
須磨駅に到着する3072号(3072-3073-3541-3641)
S特急は朝の上りと夜の下りしかないので、撮影するには早起きして上りを狙うしかありませんね。

3000系のうち、いわゆる3050系アルミカーとは1981(昭和56)年以降に製造された車両のことを指します。「日本初大型押し出し形材を用いた新工法のアルミカー」として世に出ました。最初に造られた3066号はアルミカーではありますが、神戸寄り2両がアルミ製、姫路寄り先頭車3638は鋼鉄製、付随車3508も他編成から組み込まれた鋼鉄製だったため、塗装されていました。(のち付随車はアルミ車体で新造した3538に置換え)現在は神戸寄り3両がアルミカーとなっていますが、鋼鉄製の車両と同じ色に塗装され、銀色ではないので、アルミカーとは気づきにくいでしょう。(車内には「アルミ車」のプレートが付いています。)
アルミカーながら塗装されている3066号(3066-3067-3538-3638)(的形~八家間)

3066号編成の姫路寄り先頭車3638は、今のところ山陽電車で最後に造られた鋼鉄製の車両です。他の3両とは側窓回りや車体断面、内装などが異なります。(伊保~曽根間)


続いて製造された3068号(3068-3069-3539-3639)から無塗装となりアルミ本来の銀色に輝く姿となりました。登場当時「ニューアルミカー」と呼ばれていたことも懐かしい思い出です。(伊保~曽根間)

その後、毎年1~2編成ずつ1985(昭和60)年まで増備されました。今回の3072号は4本目にあたります。毎回仕様変更されたので、どれも一見同じに見えますがそれぞれが微妙に違っていて趣味的には面白いグループです。

どう面白いのかって?

次回、クイズにしましょうか?当たっても賞品は出せませんが・・・。

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月見山から山の手を(後編)

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傾斜15%の坂を下ったむ~さん一家、さらに東へ。大手町と呼ばれる東須磨駅山手を散歩していきます。このあたりも昔からの住宅地ですが、月見山とは違いやや庶民的な空気と言えます。狭い道がくねくねと続いています。現在は板宿と東須磨を結ぶ太い車道が通じており、多くの古い家が取り壊されて雰囲気が変わってしまいましたが、以前はクルマでは入れない地域でもありました。

これは平家物語ゆかりの勝福寺の門前で見かけた民家。玄関周りの一部がいわゆる洋館のような感じになっています。別棟になっていたりする場合もありますが、多くは和風建築に付属して一部が洋風になっていたりします。この手の建物は戦前に流行したもので、のち建物の中に取り込まれ「洋室」となっていくものです。む~パパも知人の家がこのスタイルをしており、その部屋だけ鍵も洋風だったことを思い出しました。取り壊す前に写真を撮っておけば良かったと・・・。

勝福寺から南下する道はかつて山陽電車の大手踏切道に通じていました。

鉄製の電柱です。電車の鉄柱みたいな形ですね。

・大手踏切道跡(写真の突き当たりのところ)
かつて踏切の東側上り線にプラットホームが残っていました。これは大手駅の跡で1943(昭和18)年ごろまで使われていたそうです。山陽電車の地下化工事まで長い間残っていましたが、今ではその痕跡もありません。

・大手踏切道と旧大手駅プラットホーム(1990年ごろ)

・地上時代の板宿駅を出て大手踏切道を通過する阪神電車(1990年ごろ)
写真に写っている踏切の南側の森、「須磨の権現さん」として親しまれている證誠(しょうせい)神社です。実はむ~パパの氏神さまです。はい。この神社の真北、線路を挟んだ住宅地に妙な神社を見つけました。

・住宅地に突如出現する異空間。ただし背面です。

・こちらが間違いなく正面。どうやって参拝するのでしょう?
大物主とかいくつかの石に彫られていまして、一応神社らしいのですが北側の道路に接した部分に入口がありません。基本的に神社は南面しているものがほとんどなのですが、正面と思われる南側の鳥居がすぐに住宅に接しており、とても正面から拝める状況にないです。以前はここも権現さんの敷地だったのか、土地の神様として祭られていたものを集めたのかよく分かりませんが、特異な形状であることは確かでしょう。このあたり一帯はかなり昔から開けていて集落も形成されていましたので、何らかの経緯はあるのでしょうね。
子供たちを公園で遊ばせながら、のどが渇いたむ~パパ、缶ビールで休憩、休憩・・・。


A:須磨裕厚病院
B:旧大手踏切道へ向かう鉄柱のある坂道
C:大手踏切道跡と旧大手駅ホームがあった場所
D:妙な神社
E:證誠(しょうせい)神社

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東須磨から板宿へ。山陽電車で路上観察!
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月見山から山の手を(前編)

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弥刀の住んでいる月見山も生活感から自由になれない下町だが、少し山手に行けば皇族の離宮だった広い公園がある。月見山という地名も平安時代に都から流されてきた貴族が月見をしたというのが由来だそうだ。(森田季節「ともだち同盟」より)」

「ともだち同盟」については”聖地巡礼”報告をブログに書いている方が多いのと、ネタバレになるのでこれ以上詳しくは書きません。ただ山陽電車が物語の中心に登場する数少ない小説(少々特異な世界観が展開しますが・・・)とは言えるでしょう。と今回な~んの脈絡もなく、む~さん一家はその月見山にやって来ました。「ともだち同盟」主人公の一人、大神弥刀は離宮公園のすぐ下に住んでいるそうです。でもまあ、そちらには行きません。

せっかく来たのでむ~さんの写真を撮ります。月見山駅前の踏切を挟んで西側には1948(昭和23)年まで使われていた旧上りホームが残っています。昔は沿線各所にこんな遺構がありましたが、かなり減ってきました。何気なく乗っていると見過ごしてしまうものだけに、まめに記録しておくことも必要ですね。
 
これが旧ホームです。白線(点線というべきでしょうか)が残っています。そもそもホームの白線って一体いつごろから日本の鉄道駅にこのスタイルで存在するものなのでしょうか?1948年に使われなくなったホームですでにあるということは、たぶん戦前からあったものなのでしょうね。また調べておきましょう。高さが今より低いですが、当時は路面電車然とした車両を使用しており、逆に現在のような規格の車両がこの区間に入ってくるのも同じ1948年ですから、大型車の導入に合わせてホームを移設したと考えるのが自然でしょう。

駅の北側には昔ながらの住宅地が広がっています。道が狭いので車で迷い込むと大変なことになりそう。駅のすぐ東側には月見山駅のホーム下をくぐる地下道の入口がぽっかり・・・。なかなかシュールな風景でしょ。東へ進み天井川を渡ると須磨離宮公園の植物園側入口が近いのですが、今回は行きません。そして、またしても寄り道・・・。

三菱重工さんの社宅があり、高台のビューポイントです。ここから下側に出る怪しげな地下道というかトンネルがあったはず、と記憶を頼りに行ってみると・・・。

あっ、あれれ。トンネルそのものはまだあるようですが、入口は見事に塞がれていて通行不能でした。ちなみにこのトンネル、途中で曲がっていたので出口が見えない上、急な坂になっていました。(社宅内は私有地です。みだりに立ち入らないように・・・。)

三菱重工社宅の向かい側、旧須磨高校の脇から山裾を辿るルートを。若木町・上細沢町のあたりで、北側を向くと坂ばかり。平坦な地で育ったむ~ママは「こんなところで生活をするなんて信じられん」そうですが。そのまま歩くと以前は東須磨駅からまっすぐ上がってくる道に突き当たっていたのですが、現在途中が開発されて住宅地になり、旧道と団地内道路が不自然な形でつながっています。

ここに傾斜15%の急坂が待っています。写真ではあまり実感が湧きませんが・・・。登り詰めた先に昔から須磨裕厚病院があり、平屋の建家がレトロな雰囲気を漂わせていますが、ここから海側を振り返ると、いかにも坂の街神戸らしい風景が広がります。東須磨でもこんな風景が見られることは、このあたりにお住まいの方はともかく、あまり知られていないような気がします。
ここからさらに上がると高尾台に通じる道があります。戻ってくるのが大変なので今日はここで折り返します。

急坂の途中には小さな谷もあります。以前、この工事用フェンスの向こう側は木造アパートがそれこそ谷底に至るまで建っていました。この道路にはアパートの2階部分が面しており、階段で1階部分に降りると下段に建っているアパートの2階部分があるという感じです。長田の山手に行けばまだまだ残っていそうな風景ですが、東須磨の方はきれいに取り払われ、ただの谷に戻っていました。む~パパ、密かに「ラピュタの谷(なんのこっちゃ)」と呼んでいたので、ちょっと残念・・・。

この坂を下りたあとは旧大手踏切道付近へ向かいます。(続く)

A:月見山駅
B:月見山地下道へ続く道
C:三菱社宅入口
D:上細沢町へ向かう坂道
E:小さな谷
F:須磨裕厚病院


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月見山から東須磨へ。山陽電車で小さな沿線散歩をお楽しみください。
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曽根界隈を歩く

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曽根といえば曽根天満宮のお祭りが有名ですが、天満宮の北側に古い街並みが残されているのはご存じでしょうか。高砂駅近辺の古い街並みはPRも盛んで最近有名になってきましたが、曽根はまだまだかと思い、む~パパ、何度か歩いてみたのです。今日ご紹介する写真の季節がいろいろだったりしますが、ご了承ください。

・曽根天満宮本殿
山陽曽根駅を降りてすぐ曽根天満宮の参道があります。天神さまの敷地の東側道路を北に向かい旧国道250号線を越えると、何の変哲もないような住宅地に入ります。入り組んだ路地を歩くと、少し開けたところにお屋敷がありました。旧入江家です。

・旧入江家正面
高砂市ホームページによると、曽根町は古くから海上交通の要所として栄えていましたが、のち製塩業も盛んになったそうです。入江家は製塩で財を成したお宅ということで、そのお屋敷は兵庫県指定重要文化財にも指定されています。通常は非公開で、む~パパ中に入れませんでしたが、保管されているお宝とともに公開される日もあるので、次は内部リポートも出来たらと思います。ただ、お屋敷の保存状態は残念ながらあまり良くないようです。古い日本家屋の保存にはお金がかかりますが、貴重な建物でもあり何とか綺麗にしていただきたいところです。

・旧入江家の裏側。長い蔵が道路に面しています。
旧入江家を過ぎたあたりから西側は江戸~明治時代から建っていそうな古い商家の建物があちこちに残っています。建て替えられたと思しき区画もありますので江戸風情というほどではありませんが、それでも結構な数が残っています。

・なかなか情緒ある街並みです。

・古い時計屋さんを見つけました。

・高砂の3連蔵にはかないませんが、2つの蔵が並ぶ立派なお店です。

さて、日も傾いた頃、小腹がすいたので曽根の街からは天川をはさんで向かい側にある和菓子屋さんに寄りました。

・安田大納言 本店

とりあえず名物という「あん玉」を食べてみました。非常にあっさりした”あんドーナツ”です。歩いた後はほどよい甘さが体に染みました。

A:山陽曽根駅
B:曽根天満宮
C:旧入江家
D:古い時計屋さん
E:2つ蔵のある商家
F:安田大納言

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魅力的な曽根町をお散歩してみてください。クリックもよろしく。
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山陽バスが30周年!?

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小正月を過ぎて言うのも何ですが、「あけましておめでとうございます!」
本年もむ~さんパパをよろしくお願いします。

2014年は記念すべき山陽バスの30周年
「え?、何の?」
そう、山陽バスに初めて黄色い路線バスが登場した1984年から、今年はちょうど30年になるのです。もはや黄色くなる前は何色だったのか沿線のみなさまの記憶も薄れているのではないか?と思いますが、昔のカラーリングはまたの機会にご紹介するとして、今回はマニアチックに貴重な資料を特別に公開(?)しましょう。

これは記念すべき黄色い山陽バス1号車の3427号です。1997年に引退するまで13年間垂水の町で活躍していました。

ちなみにこれが後ろから見た黄色い山陽バス1号車。いすゞP-LV214K・ショートオーバーハング仕様(川崎車体)1984年式。こう書くとちょっとマニアック過ぎたかな?

さてさて。ここから公開するのは貴重な資料。む~パパのお友達が所蔵していたもので、30年前のバスのカタログです。

クルマにあるようにバスにもカタログがあります。これは1984年当時のいすゞ路線バスのカタログ。「あれ?山陽バスが???」とお思いの方も多いでしょうが、山陽バスの黄色いカラーリングは当時のいすゞのカタログに載っていたカラーリングだったんですね。さすがに当時としてはあまりに斬新だったためか、日本で同じカラーを採用したバス会社は他に無く、この黄色とグレーの塗り分けが山陽バスのカラーとして定着したのです。
※送迎用など自家用バスとしてこのカラーリングを採用した例はあります。

ここで、このカタログをめくってみますと・・・。

このように黄色だけでなく、青や赤の”山陽バス”が出てきます。何か気持ち悪いですね~。

ただ、同じ塗り分けで「色違い」ということでしたら、赤いものが青森県の南部バス、島根県の一畑バスで走っていますし、現在はありませんが緑のものが三重県の三重交通にありました。それぞれ少しずつアレンジされていますが、みんな山陽バスの兄弟ですね。青いのが走ってるのはむ~パパ見たことないです。

いや~、だいぶマニアックなお話になっちゃいました。では次回をお楽しみに。

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今さら天空の白鷺

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はじめまして。
このたび山陽電車公認ブロガーに加えていただきました、む~さんパパです。
楽しい先輩方に負けないよう頑張りたいと思いますので、どうぞよろしく!

というわけで、最初はどど~ん!と姫路城。 
実はむ~さん一家、天空の白鷺にまだ行ったことが無かったのです。下までは行ったんですよ、下までは。でも2時間待ちの看板に挫折、「まあ、いつでも行けるやろ。」と思っていて、ふと気付けば閉館まであと1ヶ月の秒読み状態。再チャレンジに待ち時間75分は許容範囲ということで、ようやく入館できました。

最上階からの展望。大手前通りの銀杏が黄色く染まっています。何気ない姫路の風景のようですが、天守閣最上階より高い位置から見下ろせるのは天空の白鷺だけ。そう、あと1ヶ月の期限付きなのです。わずか数メートル高いだけですが、何となくいつもと違って見えるのは気のせいなのでしょうか・・・。

夕刻、光る播磨灘に思わずカメラを向けました。手前は家島諸島、奥は小豆島です。

さてさて、肝心の天守閣ですが、もうほとんど完成していて修理中の姿を見るには遅すぎたようです。それでも間近に天守の姿を見ることが出来るのは感動モノ。細部までじっくり観察することが出来ました。

姫路城は歴代城主の家紋を配した瓦がよく知られています。今回の修理に際して軒瓦の家紋は桐と揚羽蝶を交互に配されたそうです。見てみると、丸いのは五七の桐なんですが、下のはスペースの関係か五三になっているようで(そんなんで良いのか?)。さらに・・・、

鬼瓦を見ると中央は七葉ですが両側は三葉でした。む~さんパパ、こういうのは詳しくないのでよく分からないのですが、三七いや七三?の桐というのは聞いたことがないので、たぶん五七の桐で両方の葉っぱが2枚ずつ隠れているのかな?と。いやまあ、こんなことに気がつくのも目の前で観察できるからでして。

そう、天空の白鷺は来年1月15日で閉館です。まだ行っていない、という方はお早めに。

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