楽しいむ〜さん一家

兵庫運河周辺の近代建築を巡る(その2)旧加藤海運本社ビル

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旧東京倉庫に寄り道してしまいました。今回は本来の目的地へ。旧東京倉庫の横に入り海辺に出ると、旧加藤海運本社ビルがあります。

少々古びていますが、角地に建つ2階建てのビル。1928(昭和3)年築。カーブを描いた意匠はやはり海運会社らしく船をモチーフにしたものでしょうか。ちなみに加藤海運さまの公式HPによると同社は1877(明治10)年に香川県高松市で創業、のち神戸に移転したそうで、現在も盛業中です。
建物全体はタイルに覆われています。現在は使われていないようで、少々荒れ気味ではありますが、まずまず原型は保たれています。

大きなガラスの中はどうなっていたのでしょう。昭和初期のモダンな空気を感じます。

1階部分は石造りです。木製と思われるドアは交換はされているでしょうが当時のデザインのままと思われます。

建物背面の少し背の高い部分は階段室でしょうか。ここから屋上に出られるようになっているものと思われます。

このビルは「神戸フィルムオフィス」HPでも紹介されており、ドラマや映画のロケでよく使われています。最近では「アルキメデスの大戦」で造船会社として登場、神戸を舞台とする映画「スパイの妻」でも塩屋のグッゲンハイム邸とともに登場します。そのためかこの建物を見ようと訪れる方もおられるようで、む~パパが訪れた今月の寒い日にも、カメラを持ってやって来られた方が他に2組おられました。



こちらもかつてのミナト神戸を今に伝える貴重な建築物。クリックにもご協力を!にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 兵庫県情報へ にほんブログ村

 

兵庫運河周辺の近代建築を巡る(その1)旧東京倉庫兵庫出張所

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あけましておめでとうございます!「楽しいむ~さん一家」をご訪問いただき、ありがとうございます。今年も山陽電車の沿線をベースとして、電車にバスに街歩き、美味しい食べ物に酒!をお届けしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたしま~す。

新年初めての記事は神戸市内の近代建築からスタート!

神戸で映画のロケ地として使われた建物はたくさんありますが、む~パパが知らなかったのが兵庫区島上町の「加藤運輸」の建物。表通りに面していないので普通には見ることの出来ないものでしたので「わざわざ行ってみよう」と市営地下鉄海岸線・中央市場前駅に降り立ちました。いわゆる「高松線」を北へ少し歩くと兵庫区島上町。

高松線に面してレンガ建ての美しい建物があります。現在「石川株式会社」本社として利用されていますが、元は三菱倉庫の前身、東京倉庫の兵庫出張所として1905(明治38)年に建てられたものです。1905年と言えば阪神電車が開業した年、山陽電車はまだ前身の兵庫電気軌道も設立されていませんでした。この高松線には市電が走っていましたが、実はこの建物より新しいものでした。市電は1971(昭和46)年に廃止となり、現在は地下鉄海岸線がこの道路の下を走っています。

対岸から見てみましょう。有名な東京駅正面にも通じる屋根には屋根裏部屋でもあるのでしょうか?小さな明り取りが付いています。
建物正面に当たる部分にも屋根がありますが、背が高く、明り取り窓も円形で変化を付けています。まさに萌えポイント!近代建築ならではの魅力に溢れています。

正面玄関。石で縁取られた入口には鉄材を用いた飾りが付いた窓。実に美しいです。レンガは当時のものにしては綺麗すぎるような気がしますが、現在の所有者のHPによるとイギリスから輸入された当時のレンガだそうです。

裏側から。屋根には正面からは見えにくかったレンガの煙突がありました。

南側に隣接する建物との間には古びたレンガの塀が。これが元々の明治のレンガのようにも思いますが・・・。(詳細は不明です・・・)

明治期に建ち、空襲・震災を乗り越え現代に受け継がれた貴重な建築物です。加藤運輸に行く前に寄り道してしまいました・・・。



次回に続きます。あちこち寄り道も良いものです。クリックにもご協力を!
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【大久保】安藤家洋館の今

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明石市唯一の近代建築洋館とされる「安藤家洋館」。以前より崩壊の危機が伝えられていましたので、ちょっと現状を見て来ました。(個人所有の建物ではありますが、歴史的価値があるものですので、外観のみ敷地外から撮影しております。)

JR大久保駅東側。電車からもからもよく見えると思われますが(JRご利用のみなさんではありますが・・・)、正面は旧山陽道に面した側で線路の反対側です。「明治天皇大久保御小休所建物」とあり、1885(明治18)年、明治天皇が西国巡幸の帰路ここに立ち寄られたそうですが、そのとき洋館はまだ建っていませんでした。実際に使われた建物は敷地内に移築されて現存するようです。

南側から。ガラスも割れまさに崩壊の危機にあるようです。安藤家は江戸時代大久保宿の本陣を務めており、この屋敷は1919(大正8)年、当主安藤新太郎が建設したものですが、完成前に当主新太郎が死去したためこの建物で葬儀を行った以降101年間使用されることなく、現在に至っているとのこと。

立派な石造りの壁が目を引きます。
バルコニーでしょうか。シンプルながら凝った装飾がありますね。

他の方のブログを読むと、所有者に会い敷地で話を聞かせていただけたようで、この建物、内装は未完成のままとのこと。明石市にとっては貴重な文化財候補ですが、なかなか本格的な保全は難しそうです。

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【神戸】兵庫県内に残る2つのラヂオ塔【明石】

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明石に現存するラヂオ塔については、以前取材しこのブログでもご紹介しました。

明石のラヂオ塔 ←とりあえず詳細はこちらを再読していただくとして。

先日情報があり、周辺が整備されているとのことでしたので再訪問しました。

明石市役所のすぐ北側ですが、確かに以前よりすっきりした感じに整備されていますね。

塔のすぐ脇には登録有形文化財である旨のプレートが、新たに作られた台座に付けられていました。が、これがそもそも何なのか?という解説板のようなものは見当たりませんでした。コメント欄に情報をいただいたのですが、この塔本体には受信機は無く、近くの旅館で受信したものを塔のスピーカーから流していたとのこと。ケーブルはどのように引いてあったのでしょう。興味は尽きません。

というわけで、兵庫県ではあと一つ残る神戸市の諏訪山公園に行ってみました。

諏訪山公園と言えば「ビーナスブリッジ」が有名ですが、それは公園の一番北側。写真の場所は金星台と言い標高は90m。1874年にフランスの観測隊が金星観測をしたためにこの名があります。元々この公園には動物園があり、王子動物園の前身にあたるということですが、写真でもお分かりのように「危険な暑さ」。公園には誰一人いない(山から下りてきたハイカーご夫婦にはお会いしましたが・・・)状況でした。

公園の片隅にひっそりと立つラヂオ塔。明石より2年遅れの1939(昭和14)年に設置されたものだそうです。

ガイシが付いていますが、ラヂオ塔として必要なものなのか、のちに街灯か何かに転用されたのか、謎は深まります。

残念ながらラヂオ塔本体のそばや、写真の案内図にも記載はなく、無用の長物と化しています。明石市のものが国指定の文化財指定を受けている中、少し残念な気がします。

市街地から公園への坂道。戦前の近代建築らしい柵が残っていました。ただ、崩落の危険があるようで一部はネットで覆われており、保全が危ぶまれます。


諏訪山公園金星台。それにしても暑いです。早々に退散しましたが、ここまでラヂオを聞きに上がって来てたんですね。その当時は今ほど暑くはなかったのでしょうが・・・。


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【ふたば学舎】神戸市内に残る貴重な戦前校舎

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コロナでお蔵入りとなっていました記事です・・・。

長田区にかつて存在した二葉小学校。旧校舎は廃校後、地域活性化のためのコミュニティスペース「ふたば学舎」として活用されていますが、いわゆる近代建築としても貴重な存在です。
1929(昭和4)年築。鉄筋3階建てで3階中央部が講堂となっています。かつて神戸市内でもよく見られた様式で、山陽電車東須磨駅に隣接する東須磨小学校も同じ形式の校舎でした。東須磨小学校のほうは1926(大正15)築ですので、二葉小学校よりやや古いです。(すでに阪神大震災前に建て替えられています。)

各部に施された曲線が大正~昭和初期に見られる意匠。太平洋戦争に突入する前にあったひと時の余裕が感じられます。

この種のデザインは鉄道車両も例外でなく、1937(昭和12)年に製造され「金魚鉢」と呼ばれた阪神国道線71形にも窓上や扉の上に同様の曲線が施されていました。(写真は尼崎市内で保存されているもの。)

ふたば学舎の内部。手は加えられていますが、校舎としての雰囲気は残されています。かつての東須磨小学校(む~パパは卒業生でして・・・。)もよく似た感じでした。

階段部分。映画のロケに使えそうですね。

講堂部分。一方には1段高い演台(舞台?)があり、多目的に使用できるようになっていました。天井の装飾は意外にシンプルです。



戦争・震災をくぐり抜け現代に生き残った昭和初期の鉄筋校舎。これからも末永く活用されることを期待します。クリックにもご協力を!
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【山陽明石駅】2つの「0キロポスト」を訪ねる【JR神戸駅】

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山陽明石駅にやって来ました。




JRとコンコース部分を共用する高架駅。多くの人で賑わっている明石市の玄関口です。




山陽電車側。明石商業高校センバツ出場を祝う横断幕が!山陽電車も応援しています。




さて、改札を入り下りホームに上がると、「0」と書かれた白くて先のとがった標識が壁にくっついているのが目に入ります。




位置的には明石銀座の方向。明石市の目抜き通りの真上にあるようですが、これは距離標といい、特に1㎞ごとに設置され起点から何キロあるのか表示するものは「キロポスト」とも言います(実際は500mごとに少し小さい標識、さらに100mごとにもっと小さい標識が設置されています。)。問題はなぜ「0」かということ。山陽電車本線起点は現在西代で明石ではありません。これは開業時兵庫~明石間を結んでいた前身の兵庫電気軌道と明石~姫路間を結んだ神戸姫路電気鉄道をここでくっつけ、明石起点の旧神戸姫路電気鉄道部分の距離標をそのままにしているためです。1本にしたときにどうして統一しなかったのでしょうか。もし統一しようとすれば、駅や踏切のキロ程をすべて西代起点に変更することや、実際に距離標を付けなおすなど気の遠くなるような作業があったからだと思います。こうして残った「0キロポスト」。2つの異なる鉄道会社を結んだ山陽電車の歴史を今に伝えています。




さて「0キロポスト」として有名なものが神戸市内にもあります。JR神戸駅の海側。山陽明石駅と同じような白い標識が・・・。




神戸駅は東京駅を起点とする東海道本線の終点。神戸駅を起点として下関駅へ向かう山陽本線とくっついている境界です。元々山陽本線は私鉄「山陽鉄道」として開業したもので、東海道本線は国が線路を敷いたものでした。山陽鉄道が国有化されるまで、この距離標がどのような形をしていたのか興味はありますが、現在では神戸駅駅舎の中心部を両線の境界としているようです。




表からみたらどうなっているのだろうと思い、「0キロポスト」の裏側へ。外からは何もありません(写真中央部の少し高くなっているところ)が、駅に入って振り返ると、




ちょうど境界部分にステンドグラスがはめ込まれていました。




そのまま神戸駅正面に当たる側へ来ると、「0キロポスト」のちょうど反対側に大きな時計が付いていました。




神戸駅中央口正面。1934(昭和5)年に建てられた近代建築です。む~パパ、この時計部分が東海道本線と山陽本線の境界だと、ずいぶん昔に聞いたことがあったのですが、今回改めて事実であることを確認しました。「0キロポスト」起点や終点にもさまざまな歴史があるものです。クリックにもご協力を。

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【東二見~西江井ヶ島】近代建築と酒蔵の町を歩く

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前回西新町~江井ヶ島をウォーキングしたメタボ気味のむ~パパ、今回は東二見駅へ降り立ちました。山陽鉄道フェスティバルでおなじみ東二見工場がある山陽電車の拠点です。車庫のほうへ行ってみたいのはやまやまですが、今回は浜手へ。

駅の南側はエレベーターも付き、面目一新ですね。

ここから海へ向かって歩くと、ほどなく近代建築ファンには有名な建物があります。

現在は明石市二見市民センターとして使われている旧二見町庁舎。1938(昭和13)年に建ったもの。今年で築80年になりますが美しく保たれ、東二見のランドマークとなっています。

南向きに優美な曲面で構成された部分(階段室でしょうか?)があります。

船をイメージしたのでしょうか。いたるところに丸窓が設けられ、非常にモダンです。

そのままさらに南へ歩くと、少しひなびた商店街を過ぎ道は下り坂となります。町からそのままの標高で海へ出るわけではないので、山陽電車の線路がやや高台を走っていることが分かります。

突き当りに鉄道模型のジオラマに出てきそうな食堂がありました。

海へ出ました。春が近いですね!

漁港で見つけました。「海上安全碑」というそうです。

海岸を東へ歩くと深い屋根の「いかにも酒蔵」な建物が目に入ります。茨木酒造さんです。

景観形成重要建築物に指定されていました。

入口の洋館が目を引きます。杉玉がいかにも酒蔵、新酒のシーズンにむ~パパ、わくわくします。

さらに東へ行くと住吉神社に至ります。水仙が咲いていました。ここも神功皇后伝説があります。

ひな祭りですね。

もう少し海辺を東へ行くと江井ヶ島酒造の酒蔵群。この雰囲気、灘にも負けていませんよ。

西江井ヶ島駅へ到着。今日はここまでとしましょう。


新酒のシーズン到来。沿線の酒蔵巡りはいかがでしょう。クリックにもご協力を。
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