楽しいむ〜さん一家

【北野町】久しぶりに異人館街を歩く

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北野町の異人館街と言えば神戸を代表する観光地。今さらこのブログで紹介するようなスポットではないかも知れません。しかし、よく考えてみるとむ~パパ、最後に訪れたのは阪神大震災の数年前(25年以上前)と思われます。む~さんなんか「風見鶏の館、見たことない。」と言い出す始末で、それはまあそうなんですが、一応地元の名所くらいは行ってみようと。(注:写真はかなり加工しています。)
修復なった「ラインの館」からメインルートの北野通りと市街地を望みます。だいぶん涼しく散策日和ですが、コロナウイルスの影響か人があまり歩いていません。そう、残念なことにどこもめちゃくちゃ空いています。これ、日曜日なんです。

「北野町」の由来となった北野天満宮。平清盛が福原京への遷都に伴い京都の北野天満宮を勧請したもの。由緒正しき天神さまの一つです。
天神さまの境内から見る風景は、定番の撮影スポット。あれ?市役所は?と思ったら阪急神戸三宮駅ビルの建設で見えなくなっていました。やはり風景は年々変化していくものですね。
ラインの館。
神戸観光のシンボル。風見鶏の館。テレビドラマ「風見鶏」放映で、消息不明になっていた当時の住人が見つかったというエピソードが紹介されていました。
風見鶏の館で。爽やかな秋の風が部屋に流れ込んできました。風見鶏の館の斜め隣りにある「萌黄の館」。元は「白い異人館」と呼ばれ実際に白く塗られていましたが、重要文化財指定後の調査で緑色だったことが判明し、現在見られる色に戻され改名。これら異人館は阪神大震災で多くが損傷し、取り壊されたものもあります。ちなみに北野町は文化庁により全国120か所が指定された重要伝統的建造物群保存地区(いわゆる「重伝建」)の一つです。この重伝建地区、兵庫県には6か所ありますが、山陽沿線沿いには無く、全て内陸部にあります。高砂や網干など、指定されても良さそうなところなのですが・・・。萌黄の館のバルコニー部分。元々はガラスの無いオープンな構造だったそうで、外観にもそれらしき痕跡が伺えますが、冬の寒さに耐えられずガラス張りに変更されたとのこと。そう言えば明治初期の居留地の写真など、洋館の2階部分はもっと開放感があるものが多いのですが、現在残るものはこのように密閉されたものが多いようです。荻須高徳の油絵に出てくるような町の風景。観光客の少ない落ち着いた感じが写真からも伝わりますでしょうか・・・?

どうも地元ほどこうした観光地は「行かない」もののようで、実は「行ったことがない」神戸市民が多いのではないでしょうか。失礼ながら空いているのは「今のうち」とも言えますし、地元の経済のためにも是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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【今月引退】3032号近影

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あと数日で引退の3032号。今回ヘッドマーク撮影はむ~さんに任せてしまったので、む~パパとしては今まで撮ってきた写真を探してみました。このブログですでに公開した写真もあるかと思いますが・・・。妻鹿トンネルを出て来た3032号。撮影時は3032-3033-3616の3両編成でした。行先方向幕もまだ「阪急三宮」ですね。(2014.9.6 白浜の宮~妻鹿間)3022号に組まれていた3502-3611号を組み合わせた「新」3032号。4両編成になりました。(現在は3両編成に戻っています。)方向幕も「阪急神戸三宮」に変更されています。(2019.5.19 西二見~播磨町間)
山陽姫路駅で出発を待つ3032号。方向幕は新しい「阪神神戸三宮」になっています。(2019.6.22 山陽姫路駅)

ここからは3032号4両編成の形式写真をお送りします。(写真提供:山陽電気鉄道)

1号車3032号。神戸寄り制御電動車(クモハ)で、3000形3次車後期型に分類されます。MG(電動発電機)、CP(電動空気圧縮機)を搭載しています。特に120KVAのMGは3000系未更新車のみに搭載されており、その回転音を聞けるのもあとわずかな期間です。
2号車3033号。3032号とユニットを組む電動車(モハ)で、制御器、抵抗器を搭載しています。パンタグラフは菱形のPK-55。クーラーは当初集中型のCU-73を搭載していましたが、比較的早い時期に5000系と同じCU-71に交換されています。外見上、クーラーのほか避雷器、ヒューズ箱が近年交換され形状が変化しています。
3号車3502号(当時)。付随車(サハ)。この編成唯一の2次車で側窓が残り3両より低い位置に付いています。車外スピーカーも片側1箇所のみ(登場時は未装備)です。車体裾は一部が延長され水切りが廃されるなど、後年かなり手を加えられています。
4号車(現在3号車)3611号。姫路寄り制御車(クハ)。3000形3次型のトップナンバーで前期型に分類されます。3502号同様、車体裾を延長し水切りを廃止するなど手を加えられています。
(写真 2019.7.19 東二見車庫)

あとわずかな期間ですが、最後まで元気な姿を見せてくれることでしょう。
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3032号に「LAST RUN」ヘッドマーク

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3000系で未更新のまま残る4編成のうち、このほど3032号の引退が決まり「LAST RUN」ヘッドマークを掲出して走っています。

今回デザインが変わり、シンプルな色使いになりました。(提供:山陽電気鉄道)

む~パパ、撮影に出動したかったのですが日程が合わず、代理でむ~さんを撮影に派遣しました。今回は全編む~さん取材・撮影となります。

最初にやって来たのは有名撮影地スマシオ(須磨浦公園~山陽塩屋間)。ただ、ここは午前の早い時間帯でないと順光にならないので注意が必要です。む~さん、地下鉄撮ってから来たそうで「逆光やった」。そらそうでしょ。

次にやって来たのはここも有名な滝の茶屋駅。3032号は長らく姫路寄りに3616号を連結していましたが、3022号と交換し3611号をパートナーとしています。3600形は電動車より先行して製造された車両が多いため、おおむね1年程度電動車より年上です。

どうやらむ~さん、舞子公園駅へ先回りしたようで・・・。む~パパ、下回りが隠れるのでここで撮ることはほとんどないのです・・・。

次に来たのは白浜の宮駅~妻鹿駅間。妻鹿トンネル西方です。

この日最後の運用。折り返し東二見行き普通列車を別府駅で。

東二見駅到着後、車庫へ入庫する3032号。

活躍するのも9月30日限り。また1編成、3000系が消えていきます。
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西二見駅設置前の撮影ポイント

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先日、建設中の西二見駅写真を公開しました。
【発掘】西二見駅建設中の記録
この少し前、西二見駅が影も形も無かった頃の写真をご覧ください。
撮影:2001年3月。

ちょうど西二見駅があるあたりを通過する5000系特急。手前は今は無き西二見西第2踏切。5000系も今とは異なる開口部の少ないスカートを履いています。

同じく3054号。今は無き阪神大石行きですね。この車両はすでに引退しています。

同じく阪神梅田行き直通特急の5016号。「大阪ライナー」の副標が懐かしいです。
同じ場所から東方面。今は無き3002号の4両編成です。現在線路南側はイトーヨーカ堂の建設や道路整備により面目を一新していますが、写真の頃は空き地が広がっていました。
同所で5030系。「姫路ライナー」の副標が付いています。

つい最近と思っていたのに20年近く経ってしまいました。クリックにもご協力を!
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【西舞子~大蔵谷駅間】旧大蔵谷駅の痕跡を訪ねる。

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5年前、大蔵谷駅の西側に残る明石高女前駅跡を訪ねました。
その時の記事はこちら→  明石高女前駅を訪ねる。
少々時間が経ってしまいましたが、今回は旧大蔵谷駅を訪ねてみようと思います。最初の駅は朝霧川橋梁の上にあり、その後東詰に移ったとのことで、1948(昭和23)年に現在地に移っています。そもそも開業時はこの辺りから国道の南側を走っていたとのこと。半ば路面電車だったころのお話ですね。この旧大蔵谷駅、まだ痕跡があるという情報を得たのですが、車内から見てもよく分からなかったので、現地に行ってみました。

(出典:Googleマップ)

黄色の線が山陽電鉄本線。朝霧川の東ということで「旧大蔵谷駅跡」と記したところへ。「明石高女前駅跡」は前回(5年前ですが)取材した場所です。

上の地図で、大体この辺かなと思う場所にやって来ました。北側に並走するのはJR神戸線。221系の活躍もあと僅かと思いますが、山陽電車を待っていると熱中症になってしまうので、とりあえずお許しください。手前2本が山陽電車の線路です。

この付近。線路両側に古いコンクリートの壁のようなものがあります。ホーム構造物の痕跡と思われます。明石高女前駅と同じスロープのようなものが残っています。

真横から見ると、上下線の同じ場所にスロープ痕のようなものが・・・。明石高女前駅ほどはっきり残っていませんね~。
コンクリートの上に古レールが埋め込まれています。今より線路の高さが低かったのでしょうか。ホーム柵の痕跡でしょうか・・・。

さて、上地図で赤線を引いたところがあります。山陽電車から斜めに離れていく道路がありますが、一説によると神戸~明石間の山手を結ぶ「神明急行電鉄」の予定線であったとか。この予定線、弾丸列車構想、神明道路・・・。神戸市営地下鉄妙法寺駅の近くに謎の橋台があったのは覚えています。

どこまでが本当で、どこからが都市伝説なのか?ちょっと調べてみたいですね。

人丸前駅付近高架化前は旧遊園地前駅もはっきり残っていたそうですよ。クリックにもご協力を!
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