楽しいむ〜さん一家

【中津】保存された鉄橋を訪ねる(番外)

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前回まで明石市内に保存される鉄道草創期の鉄橋、播磨中央公園(加東市)にある同時期の鉄橋をご紹介しました。今回は番外編として大阪市にある日本最古の鉄道用鉄橋をご紹介します。
阪急電車中津駅から電車に沿って国道176号線を少し神戸寄りに歩くと、淀川を渡る十三大橋の手前に小さな歩行者用の橋が架かっています。「浜中津橋」と言い、現在は水が流れていない長柄運河をまたいでいます。
この橋は元々大阪~神戸間に鉄道(現在の東海道本線/JR神戸線)が建設される際、イギリスから輸入されたもので、1873(明治6)年製造。当時も淀川を渡る下十三橋に架かっていました。鉄道は1874(明治7)年に開業。この写真に写っている側(上流側)は複線化のため1896年に追加された日本製の主構であるとのこと。
こちらが下流側で、この主構はイギリス製とのことです。現時点で製造から148年を経ています。ちなみにこの橋も土木学会選奨土木遺産に指定されています。山陽電車東二見車両工場に保存されている鉄橋は、京都~大阪間の上神崎川に架かっていたもので1874(明治7)年製(開業は1877年)ですので、わずか1年ですがこちらのほうが古いのです。

日本で最初に鉄道が開通した新橋~横浜間(1872年)では橋梁は木製だったので、「鉄橋」は阪神間の鉄道で初めて登場したものなんですね。


阪神間に多数が製作された鉄橋のうち、現存するのはこれだけだそうです。
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【西明石】保存された鉄橋を訪ねる(その2)

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明石市内にはもう一つ、古い鉄道橋を保存している場所があります。JR西明石駅のすぐ近くにある上ヶ池公園。ここにかつて西明石駅をまたぎ、藤江・松江地区と小久保・鳥羽地区を結ぶ「小久保跨線橋」として使われていた鉄橋があります。
公園の中に鎮座しており橋としての役割はありませんが、散策コースと言うかジョギングコースの一部として活用されています。
文化庁より登録有形文化財に指定されています。
水色のトラス橋が青空と調和しています。

さて、この鉄橋。西明石に広大な機関区施設が出来た際、分断される南北の町を結ぶため、1927(昭和2)年に架けられたものですが、元々は1890(明治23)年、九州鉄道(国鉄を経て現在のJR九州)がドイツから輸入したもので、鹿児島本線などに使われていました。1994(平成6)年に西明石に新しい陸橋が出来るまで104年間、九州の近代化に貢献し、その後は明石の街を南北に結ぶ陸橋として長く使われてきました。

鉄橋の脇にはその歴史を解説する案内板とともに、鉄橋の構造も記されています。ここに保存されているのは鉄橋の靴にあたる「支承」と呼ばれる部品と、トラス上部を支えていたピンです。


JR西明石駅すぐですが、藤江駅からだと徒歩30分程度。今は無理ですが散策に良い時期になれば山陽電車で途中下車して歩くのも良いですね。

次回はおまけとして、もう少し古くて貴重な鉄橋をご紹介します。
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【東二見】保存された鉄橋を訪ねる(その1)

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東二見車両工場と言えば「山陽鉄道フェスティバル」でおなじみですね。正門を入ったところに保存車206号がありますが、これと一緒に鎮座しているのが・・・、 鉄橋の一部分。山陽電車は舞子公園~西舞子間でJRを越えていますが、かつてはその部分に使われていた鉄橋です。
現役時代。2000系特急が渡る懐かしい写真です。2008号がクロスシートですので1959(昭和34)年頃でしょうか。(写真:山陽電気鉄道)

この鉄橋、1917(大正6)年にこの場所に架けられたものですが、元々は1874(明治7)年、現在のJR東海道本線京都~大阪間建設時、イギリスから輸入され神崎川に架けられていた(上神崎川橋梁)もので、1987(昭和62)年に架け替えられるまで通算111年間、鉄道橋として使用されました。なぜ明治時代に架けられた官設鉄道の鉄橋が大正時代の山陽電車に使われていたかというと、鉄道草創期の鉄橋が車両の大型化や長編成化により設計重量が耐えられなくなったものの、軽い電車などが渡る鉄道や道路橋ならばまだまだ使えるということで、各地に払い下げられたためです。急速に産業が発達し、鉄道の輸送力が増大していった明治・大正期らしいお話です。

このように保存されている鉄道草創期の鉄橋は県内でもいくつかあります。


播磨中央公園で園内の歩道橋として活用されているこの鉄橋は、神戸電鉄粟生線加古川橋梁に架かっていたものですが、1889(明治22)年に水戸線で使用されていたとの記録があり、山陽電車同様、神戸電鉄が払い下げを受け1998(平成10)年まで使用されていたとのことです。こちらもイギリス製で現在東二見で保存されているものとそっくりですね。
鉄道橋ではなくなりましたが、現在も公道をまたぎ園内をつなぐ役割を果たしています。

各地に残る鉄道草創期の鉄橋。次回もご紹介します。
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