楽しいむ〜さん一家

【戦争遺跡】加古川飛行場と高射砲道路を歩く

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コロナ禍とメタボ解消のため、屋外でウォーキングを続けるむ~パパ。「旧陸軍神野弾薬庫線を歩く」で残した宿題を片付けるため、旧陸軍加古川飛行場跡地にやって来ました。
尾上公民館近くにある石碑。飛行場の正門がこのあたりにあったと伝わります。
飛行場の解説板。写真を見ると滑走路は三角形であることが分かります。「加古川飛行場跡地は広大な農地となり開発が進んだ現在・・・」とありますが、
Google Map昔の航空写真(1961~1964)を見てみると、滑走路の跡地がはっきり残っているのが分かります。
こんな感じですね。高射砲道路はこの飛行場と高射砲第3連隊を結ぶものでした。
ちなみに滑走路は1980年代になってもまだ形を残していたのですが・・・、
現在はわずかに一部が残るのみとなっています。なお、石碑はこの写真では中央下部にあり、滑走路とは少し離れています。相当広大な施設であったことが分かります。
(航空写真出典:Google Map)
現在の高射砲道路。元々「道路」だけに当時の痕跡は見当たりません。
浜の宮駅~尾上の松駅間で山陽電車を越えます。軍用道路のため踏切を避けようと築堤を作っています。現在も道路として使用されていますが、幅が狭く歩行者が歩くのはなかなか危険ではあります。
山陽電車との交差部。いかにも古そうな感じ。前方は山陽新幹線の高架。
その先、明姫幹線を越えて北に進むと別府鉄道廃線跡と交差します。別府鉄道の本数が少なかったためか立体交差にはなっていません。
新しい道路が出来て高射砲道路(右側)が無理やり取り付けられる形になっています。
おっと日が暮れてきました。東加古川駅~加古川駅間でJRも越えます。山陽電車と同じような築堤が作られています。
JRを越え加古川バイパスを潜れば見えて来る「ハリマ化成」。高射砲連隊(のち航空通信学校加古川教育隊)の土地は戦後このハリマ化成の工場となりました。
ハリマ化成正門。旧陸軍時代の門がそのまま残っています。敷地内にも陸軍時代の建物が残っているそうです。
とうとう日が暮れてしまいました。

加古川飛行場関連は以下のページへ。
【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(前編)
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】

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【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(前編)

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2013年「せっつ・はりま歴史さんぽ」のコーナーで紹介された加古川飛行場ですが、旧高砂線から飛行場へ向かう未成線に焦点を当てご紹介します。すでにあれから7年、風景はどのようになっているのでしょうか?

降り立ったのは尾上の松駅。3000系ラストナンバー3078号、ここ最近は懐かしい登場時の3両編成に戻って頑張っています。

エレベーターも完成し面目を一新した尾上の松駅ですが、駅舎は元のままでどこか懐かしい雰囲気を漂わせています。

駅を出て少し東へ行くと山陽電車は築堤に上がり、並行する道路が下をくぐっています。この道路は国鉄高砂線の廃線跡。その昔山陽電車尾上の松駅が築堤の上にあり、下には国鉄尾上駅がありました。

この廃線跡から分岐するのが加古川飛行場へ向かう(予定だった)引き込み線用地。線路が敷かれることはなく、未成線のまま現在に残されています。山陽電車の車窓からもよく見えますのでご存じの方も多いでしょう。

住宅地を突っ切る線路用地。フェンスで囲まれ立入り出来ませんが、何かに使われているというわけでもないようです。

用地は県道718号線を越えたところで少しだけ道路に転用されていますが、写真奥に見えるように何か公園のような土地に吸い込まれます。

未成線なのにいかにも「線路柵」という感じの場所がありました。

というわけで、とうとう行き止まり。

フェンスの向こうは加古川飛行場の跡地で、現在はオーミケンシ(株)加古川工場となっています。さすがにこの先どうなっているのか分かりませんでした。
Googleマップより。赤い線が山陽電車、黄色い線が国鉄高砂線跡。そして青い線が引き込み線用地です。

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