「新快速」として専用設計された国鉄117系電車。7月21日に近郊型電車としての定期運用に終止符を打ちました。今回はその足跡を少し追ってみました。(その1はこちら)
山陽電車の好敵手というより阪急・京阪のロマンスカーと対抗した名車117系。ついに過去帳入りしました。
「新快速」として専用設計された国鉄117系電車。7月21日に近郊型電車としての定期運用に終止符を打ちました。今回はその足跡を少し追ってみました。(その1はこちら)
山陽電車の好敵手というより阪急・京阪のロマンスカーと対抗した名車117系。ついに過去帳入りしました。
117系を名乗る一般車はなくなりましたが、115系3000番代に組み込まれたモハ115・114の3500番代が7ユニット残っていて、まだ数年は走りそうです。
モハメイドペーパーさま コメントありがとうございます。
下関の4連はすべて2扉車ですね。3扉車にしなければならない雰囲気でもなさそうですし3000番台は最も新しい(40年もたてばみな同じですが)ので、この地区の置換えまでは残ると見て良いのかも知れませんね。「銀河」を除けば117系の姿を残す貴重な存在と言えますが、あの顔でないというだけで距離的に撮りに行くのは面倒かな、と考えてしまいます。
国鉄117系、定期運行に終止符が打たれたのですね…。
117系といえば、新快速「シティーライナー」ですネ!「ブルーライナー」にも乗ったことがありますが、初めて見たとき、「かっこいい!」と思いました。
「ブルーライナー」に乗った時ですが、中間車に「湘南色」の153系が連結されていたことがあります。走行中にビルの側面に車体が映ったときに「あれ?」と思いました。
117系のカラー、関西の急電をオマージュされていたのですね。初めて知りました♪
その後、117系は東海や山陽エリアで活躍していますが、次の世代の車両に交代していってるんですね…。
117系、またどこかで会いたいです。
大石六甲さま コメントありがとうございます。
私は新快速と言えば「ブルーライナー」世代です。153系は固定編成ではなかったのでブルーライナー色の車両がユニット単位で工場に入ったときなど、代わりに入った湘南色の車両との混結はよくありました。先頭車が湘南色の場合は165系が付いていると塗り分けが違っていて面白かったです。関西急電色は戦後に80系で復活したのですが、結局は湘南色に統一され113系に受け継がれていきます。その中で117系での急電復活は大阪鉄道管理局の意地とも言え、当時の国鉄としては思い切ったことをしたものです。これが現在、並行私鉄の強力なライバルとして大きく育っています。