楽しいむ〜さん一家

【新快速】さよなら117系電車(その2)

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「新快速」として専用設計された国鉄117系電車。7月21日に近郊型電車としての定期運用に終止符を打ちました。今回はその足跡を少し追ってみました。(その1はこちら

1979年。今から43年前の川崎重工(現:川崎車両 ※ちなみに川崎重工になる前は川崎車「」でした。)で完成間近の117系の量産先行車である第1編成。立っているのはむ~さんパパ(当時8歳)。周囲では同じく完成間近の103系や113系(115系?)の姿が見えます。ちなみに山陽電車3050形のアルミカーがここで生まれるのはこの2年後です。
※注意:現在この場所での撮影は禁じられています。当時は自由に撮影できましたし、守衛さんが撮影してくれたりもしました。
上写真の117系部分を大きくしてみました。先頭はトイレが付いたクハ116-1です。愛称募集で「シティライナー」と命名されました。
写真が鮮明ではありませんが、117系登場前の新快速に使用されていた153系急行型電車(写真の最後尾はクハ165)。「新快速」は1970(昭和45)年に登場し、当時は113系電車を使用していましたが、新幹線が岡山まで開通した1972(昭和47)年に余剰となった153系が使用されるようになりました。この車両は専用カラーとなり「ブルーライナー」と呼ばれました。白い部分は山陽電車3619号の「ホワイトエンジェル」と同じ灰色9号と呼ばれる塗色です。わずか8年あまりの活躍でしたが「新快速」と言えばブルーライナーを思い浮かべる人はむ~パパを含め、かなり多いと思われます。(1975年 鷹取)
1936(昭和11年)、関西地区にデビューした急行電車(急電:現在の快速にあたるものですが、当時の停車駅数から考えると現在の新快速に近い列車です。急行料金は不要でした。)用のモハ52形。写真は翌1937(昭和12)年に登場した2次車。117系の塗装はこの急電をオマージュしたものです。戦後、80系電車が同じアイボリーとブラウンのツートンカラーで復活しましたが、ほどなく湘南色となり「快速」となって現在に至ります。(2012.3.3 リニア鉄道博物館)
「関西急電の復活」であった117系は、しかし京阪神のスターとしての活躍は意外に短いものでした。1992年には一部が岡山に転出し快速「サンライナー」として活路を見出すこととなります。
(1993年8月 岡山駅)
「サンライナー」に入らなかった中間車の一部は、湘南色に塗装され115系に編入されたものも登場。このモハ115-3501は元モハ117-17で山陽本線などのローカル輸送に従事、2016年に岡山で生涯を閉じました。(1993年8月 岡山駅)
関西に残った車両もクロスシートが一部撤去された300番台となったり、後に一色塗りとなり・・・、と、どんどん落ちぶれて行く様はファンとして辛いものがありました。クハ117-306(元クハ117-6)
(2017.11.5 京都駅)

山陽電車の好敵手というより阪急・京阪のロマンスカーと対抗した名車117系。ついに過去帳入りしました。

【新快速】さよなら117系電車(その1)

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国鉄時代の1979(昭和54)年、並行する私鉄に対抗するため関西の新快速向けに専用設計された国鉄117系電車。山陽電車にとって手強いライバルとして並走した盟友であり、未だに国鉄最高の一般型電車との呼び声高い車両ですが、関西を去って長く住み慣れた岡山で今年7月21日をもって姿を消すことになりました。44年前の登場時からその姿を知るむ~パパ。最後の姿を捉えるべく出動しました。

最後に残ったのは4両編成が3本。日祝は夕方に岡山~糸崎を往復し、その後岡山~播州赤穂を往復するだけの運用でした。む~パパ、この趣味の大先輩と、とりあえず撮って乗るという目的で山陽本線をあちこち回った結果、実は何の変哲もない場所で下って来る117系を撮影しました。この日は1986年に増備された100番台。側面窓が1段下降窓となり外観の完成度は高かったのですが、む~パパ的には武骨な2段窓の0番台が好みではありました。(2023.7.16 山陽本線 里庄~笠岡)

笠岡で1本後の電車で西へ向かい、糸崎で折り返す117系に尾道駅から乗り込みました。車内外は名残を惜しむファンが大勢。む~パパ、通路を歩いて来る会社の後輩を見つけ声を掛けると、なんと彼は下って来る117系を尾道大橋から俯瞰撮影し、尾道駅まで戻って来てこの列車に飛び乗ったとのこと。いやはや、若い人はお元気なことで・・・。落ち着いたブラウンの転換クロスシートが並ぶ室内。蛍光灯もカバー付きで、阪急6300系や京阪3000系といったロマンスカーを意識したものであることは言うまでもありません。

車端部壁の木目柄は当時の国鉄車両としては非常に高級感がありました。写真の100番台は若干この茶色が明るい感じです。

この日はなかなか撮れなかった湘南色の115系も押さえることができ、かなり満足していたのですが・・・。(2023.7.16 山陽本線 里庄~笠岡)
翌日、再び岡山入り。同じ下り列車を「ニワナカ(庭瀬~中庄)」で撮影しました。今度は2段窓の0番台。今や1編成だけ残る貴重な存在です。(2023.7.17 山陽本線 庭瀬~中庄)

7月21日をもって本来の「近郊型電車」としての117系は姿を消しますが、117系自体は「WEST EXPRESS 銀河」として残ります。(2022.9.3 米子)

次回は少し懐かしい写真をお目にかけます。

【岡山】山陽電車と競った国鉄電車も見納め

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山陽電車と並走するJR神戸線(山陽本線)。かつて快速として使われた113系、新快速として君臨した117系も引退が進み、今では京都周辺と岡山周辺、山口県などに残るのみとなっています。まとまった数が活躍する岡山地区では来年度からの新型車両置換えが発表され、その姿を消すのも時間の問題となってきました。む~パパ、来年になって騒ぎになる前に少しずつ撮ったり乗ったりしてみようと活動を始めています。

国鉄時代末期。須磨~塩屋間、現在の通称「スマシオ」を走行する113系快速(右)と201系普通(左)。む~パパ世代にとって「快速」とはこの緑とオレンジを組み合わせた「湘南色」の車両であり、普通とは103系以来青色の車両です。今気付いたのですが、右側の113系はタイフォンの形状から見て湖西線向けの700番台でしょうか・・・。(撮影:1986年)
京阪神地区の「新快速」用として専用設計された117系。む~パパが小学生だった1979(昭和54)年に登場した車両で、国鉄電車のイメージを一新しました。この写真は早朝に運転されていた12両編成の快速で、昼間は見られない2編成をつないだ姿を撮りたくて、夏休みに早起きして線路際で待っていたことを思い出します。(撮影:鷹取~須磨間 1980年7月)
さて、現在。岡山地区で活躍する113系(クハ111-2070ほか)。岡山地区では元々勾配区間に適した抑速ブレーキを持つ115系が主力であり、平坦区間用の113系は京阪神地区で使用されていましたが、現在113系は115系と混じって運用されています。かつて須磨~明石間で山陽電車と並んで走った113系電車の現在の姿です。(2022.1.30 庭瀬~中庄)
岡山地区本来の主力車両115系。元々は前面の塗り分けが113系とは違っていましたが、近年黄色1色に塗り替えられ、113系とは区別が付かなくなりました。(2022.1.30 庭瀬~中庄)
こちらは117系電車。京阪神で新快速「シティライナー」として活躍した車両ですが、岡山地区では113系・115系と同じ黄色1色となってローカル輸送に従事しています。華々しい時代を知っているだけに、何とも言えない感情が湧いてきます。(2022.1.30 庭瀬~中庄)

元の色と違うとは言え、かつて山陽電車と競った国鉄車両が消えていきます。撮るのも乗るのも今のうちでしょうね。