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【高砂線廃線跡を歩く⑤】三菱製紙専用線

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4回にわたってご紹介した国鉄高砂線跡。工業地帯を走る路線のため、沿線各工場へ専用の線路が敷かれており、その痕跡もあります。今回はその線路跡を歩くことにします。

2012年の高砂駅付近航空写真(出典:国土地理院)。中央やや上にあるのが山陽電車の高砂駅です。上から見ると駅のすぐ南側で東から来る線路跡(高砂線)と西から来る線路跡(専用線)が交わっているのがお分かりいただけるかと思います。

1961~1969年の同じ場所です(出典:国土地理院)。

山陽電車は現在のまま。黄色が国鉄高砂線。青が高砂線から分岐する専用線です。よく見ると現在でもはっきり痕跡を残している部分があります。
これは高砂線から分岐し三菱製紙高砂工場へ向かう専用線跡(上図では下の青線)。最近までサンモール駐車場へ向かう通路として使用されていました。いかにも線路跡らしいカーブを描いています。
サンモール跡地。建物の撤去が進み、寂しい雰囲気。再開発に期待したいところです。
専用線跡はサンモール跡を横切り、その先は三菱製紙専用の自転車・単車置き場として使われています。これはそのまま線路の跡です。
※すみません。こう書いていますが、本物の線路跡はこの北側を通っていたそうです。また写真撮り直しておきます。
ここを進めば三菱製紙の正門前。かつてここから線路が工場内まで延びていました。高速道路が整備されるまでは鉄道輸送が主力。工場内で貨車に積み込まれた製品は、高砂線を使って山陽本線に運ばれ、全国へ出荷されていました。
三菱製紙高砂工場内には近代的な施設もありますが、戦前から存在すると思われる建築物も多数残っているようで、機会があれば是非近くで見てみたいと、む~パパ、かねてより熱望しております。

【高砂線廃線跡を歩く⑤】三菱製紙専用線” への6件のコメント

  1. 毎回、楽しく拝読して居ります。
    当方が子供会でキッコウマンに見学に行った時(昭和50年頃)工場内に茶色のワムが沢山停まっていた記憶があります。
    このキッコウマンへの廃線跡を探訪・調査・紹介お願い致します。

    • B.Bさま コメントありがとうございます。
      昭和50年頃ですと、キッコーマンはもちろん国鉄高砂工場など専用線が結構あったはずですね。キッコーマンについては本部や体育館、主棟など工場設置時からの建物が多数ありましたが、近年建替えが進み正門の守衛室と敷地を囲む塀くらいしか残っていないのではないかと思われます。

      • 早速の返信有り難う御座います。ムーさんのリポートを頼りに当方も一度、高砂探訪に行ってみます。引き続き高砂廃線跡シリーヅお願い致します。

  2. こんにちわ
    高砂線ネタはいつも懐かしく拝見しております。
    三菱製紙への専用線はサンモールの中を走っていましたね。
    小学生だった当時、サンモールのスイミングスクールに通っていたので、
    踏切音が聞こえると、よく2階の連絡通路からワムが走っているのを
    見ていた記憶が蘇ります。

    • オカケンさま、こんにちは。コメントありがとうございます。
      他のHPで調べると、どうも自転車置き場の北側が線路跡だったようで、失礼しました。にしても現役時代を知る方からのコメントは貴重です。ありがとうございました。

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