楽しいむ〜さん一家

【痕跡があちこちに】神戸臨港線を歩く(その4)

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その1 その2 その3

神戸臨港線というよりは突堤へ延びる引込線を探索している感がありますが、今回は第4回。現在のポートターミナルより東側、第5~第8突堤の引込線跡を探索します。この辺りは第2次大戦後に整備された部分となります。
とある展覧会で掲示された地図から。左上は神戸港駅(現みなとのもり公園)。突堤へ向けて何本もの線路が敷かれているのが分かります。痕跡は至る所に残っています。

新港重運計量神戸営業所。隣のガソリンスタンドとの間が引込線跡。上地図中央部にある二つの三菱倉庫の間へ入っていた線路です。線路に沿ってカーブした建物が残ります。
三菱倉庫を裏側から。線路に合わせて欠取りがあります。
少し東側へ。大きな矢印(展示物ゆえご容赦を)の下敷きになっている「森本倉庫」の前に線路が敷かれています。

森本倉庫。ひさしのある荷受け部分だけが不自然なカーブを描いています。線路の跡をそのまま残されたものです。
地図では森本倉庫と書かれていますが現在は澁澤倉庫となっている建物。線路に沿ってカーブした壁面が美しいです。
第8突堤付近。現在突堤の間は埋め立てられています。
上図で大神倉庫と記載された部分。現在は神和運輸倉庫となっていますが、駐車場部分は明らかに怪しい廃線跡ですね。
上図第7~第8突堤間の倉庫群。現在、第5~第8突堤間は埋め立てられて陸地となっており、かつて海辺に建ち威容を誇った倉庫群も陸地に取り込まれてしまいました。

あちこち探しているときりがないので、神戸臨港線探索はひとまず終了します。
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【古い倉庫が魅力】神戸臨港線を歩く(その3)

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前回「その2」でも登場した突堤に伸びる引込線が記された地図。今回は今も残る線路跡を感じさせる倉庫群を訪ねます。
臨港線自体はこの図の上方を通っている線です。まずは赤で塗った部分から。
三井倉庫。元は前身の東神倉庫として1926(大正15)年に建てられたもの。海側から見ると同じ意匠の建物が2つ並んでいるように見えますが、上図のとおり西側(写真では左側)の建物の北側は引込線に沿って切り込まれています。
駐車場部分は線路跡で、線路に沿って建物がカーブしています。

北側から。1階部分にはかつて線路が敷かれていました。貨車が据え付けられ荷物を積んでいた情景がよみがえります。
上図の緑で示した部分が三菱倉庫。1925(大正14)年築。

もちろんこちらにも線路が入っていました。少し前までは線路そのものも残っていました。現在は埋められたのか見ることは出来ませんが、建物の1階部分はいかにも引込線らしい姿を残しています。
三菱倉庫のさらに隣は住友倉庫なのですが、事務所棟の間を通る引込線の痕跡が今もゆるやかなカーブとなって残っています。
三菱倉庫の西側は住友倉庫。上図の青で示した部分となります。1926(大正15)年築。新港地区の倉庫群は同時期に一斉に建設されたことが分かります。線路が入っていた部分は増築されたのか西側とは外観が異なっており、現在痕跡はありません。
海側から見た住友倉庫。高層建築が林立し、周囲の景観は一変しました。

この隣、上図の黄色で示した部分は川西倉庫が建っていましたが、新港地区の再開発に伴い取り壊され、フェリシモ新本社やポートミュージアムが建っています。大正時代に建ったこれらの倉庫群もいずれは消え、鉄道のあった痕跡も過去のものになっていくのでしょうね。

せっかくですので、今は無き川西倉庫の姿をご紹介しましょう。
かつて住友倉庫の隣にあった川西倉庫。西側壁面のカーブはもちろん引込線に沿ったものです。1925(大正14)年築。貴重な産業遺産ではありますが、保存するには大きすぎますね・・・。(2004.2.21撮影)

引込線のうち1本は川西倉庫の1階部分を通過していました。そのままの姿を残しています。(2004.2.21撮影)

大規模な倉庫群はいずれも大正時代から残る貴重なもの。クリックにもご協力ください。
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【近代建築】神戸臨港線を歩く(その2)

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神戸臨港線跡を探索するシリーズ。今回は新港地区に残る近代建築をご紹介します。
先日「神戸・移り変わる町とくらし」展で大きな地図が掲示されており、そこに臨港線の線路がはっきり記されていました。この図で一番右端にある第4突堤は現在ポートターミナルがあり、神戸大橋がポートアイランドに達しています。

その根元を拡大すると・・・。
臨港線から分岐して突堤へ延びる線路が縦横に張り巡らされているのが分かります。「農林省神戸生糸検査所」「神戸税関」「総合貿易館」の文字が見えます。このいずれもが現存しています。一つ目、農林省神戸生糸検査所。旧国立生糸検査所(現:デザイン・クリエイティブセンター神戸)。1932(昭和7)年築。新港地区に残る代表的近代建築です。上図にあるように道路部分は今も同じですが、駐車場部分は線路跡です。
旧国立生糸検査所の西面に建てられている旧神戸市立生糸検査所。1927(昭和2)年築。上図「農」あたりに建っているものです。
夜はライトアップされています。
この旧神戸市立生糸検査所の南にあるのが新港貿易会館。上図の「総合貿易館」です。1930(昭和5)年築。国登録有形文化財。この建物の南側と北側の両方に線路が敷かれていました。
新港貿易会館の南側に隣接する三井倉庫。旧東神倉庫の建物です。この地区に建つ倉庫群については次回以降にご紹介しましょう。

新港地区入口に建つランドマークが神戸税関本館。1927(昭和2)年築。吹き抜け部分を中庭とするなど、震災復旧にあたって原型を残しつつリニューアルされています。

ちなみに、終戦直後に撮影されたこれらの建築物が以下のサイトで公開されています。線路や貨車の姿がありますので、是非ご覧ください。
一枚の写真から 27-1 終戦直後の神戸の写真 1: 汽車好きクラーケン (cocolog-nifty.com)

建築物と廃線跡を同時にご紹介するのは難しいですね~。クリックにもご協力ください。
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【廃線跡】神戸臨港線を歩く(その1)

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廃線跡探索がマイブームのむ~パパ。メタボ克服のため「歩く」目的を作っている感はありますが、地元の歴史を知ることは無意味なことではありません。
さて、今回は「神戸臨港線」。東灘信号所(現:JR摩耶駅)から神戸港へ向かって延びていた路線で、最後まで残った区間は2003年まで列車が走っていました。最盛期は突堤の隅々や神戸製鋼所、川崎重工まで線路は敷かれていました。さて、その跡はどうなっているでしょうか?
JR神戸線の下をくぐる、人専用のトンネル。レンガ作りの古風なものです。写真左方向すぐに最近開業した「摩耶駅」があります。臨港線は北側から分岐し、写真の道の上を越えていました。以前は道の両側に橋台がありましたが、駅前開発により失われています。

JR神戸線の下をくぐった臨港線が出てくる場所。写真中央のマンションが線路跡に細長く建っているのが分かります。手前の歩道橋はかつて線路を越えていた「高橋(たかばし)」。
臨港線の解説板。すぐ横の公園にレールのモニュメントが設置されています。

このレール、当時はもっと低い場所を通っていたはずです。
マンション2棟を過ぎればJR灘駅から阪神岩屋駅を経て兵庫県立美術館へ至る道(ミュージアム・ロード)へ出ます。廃線跡はここから遊歩道として整備されています。
築堤や橋台がそのまま残され、廃線跡ウォークが楽しめます。

廃線跡が通過する神戸市立科学技術高校裏手には、ミニSL用の常設線路が敷かれていました。年に何度か走らせていたようです。現在は沿道の桜が大きくなって、根が線路の一部を持ち上げている状態で、少し荒れていました。
神戸臨港線最大の遺構が国道2号を横断する鉄橋です。あえて架線柱がそのまま残されており、廃線跡感満載です。
外から見るとこんな感じ。今にも列車が現れそうですね。
国道を越えるとしばらくの間、実際の線路が残されています。
その先はHAT神戸となり、駐車場に転用されるか写真のようにそのまま放置されています。何か看板があったので近寄ってみると・・・、
神戸臨港線の橋台跡があり、調査後埋め戻されたようです。放置しているのではなく遺跡保存のためあえて開発していないようですね。
橋台の一部は廃線跡が通るHATゆめ公園に保存展示されています。

終着地小野浜公園が神戸港駅跡となります。

まだ続きます(不定期連載)。クリックにもご協力ください。→その2へ
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