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【廃線跡】国鉄鷹取駅南専用線を歩く

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む~パパ、かつて東須磨に住んでいたので鷹取駅から南へ伸びる引込線の存在は知っていました。特に浜側の道路は踏切が2か所あり、一度も貨車の通過シーンを見たことはないのですが子供心にワクワクしたものです。廃止になって40年、廃線跡はどうなっているのでしょうか。

1974~1978年の航空写真より。専用線は鷹取駅の少し西から分岐し、国道2号線をまたいだところで二股に分かれ、それぞれ石油貯蔵施設に伸びていました。写真で示した山陽電車の線路は東須磨~月見山間です。名門国鉄鷹取工場も今はありません。(出典:国土地理院)
前掲の航空写真で山陽本線から分岐していた部分。当時どうなっていたか記憶が定かではないのですが、現在でもスッパリ切られているのが分かります。ここから築堤となって地平に降りてきたものでしょう。写真右側が鷹取駅方向。
分岐した線路は右へカーブし南へ向かいます。道路との交差部。「C」の看板がある部分が廃線跡。かつての踏切が道路より少し高くなっているのが分かります。
この元踏切から南側の廃線跡を見ると、カーブに沿って細長いマンションが建っています。マンションも微妙にカーブしているのが面白いですね。いかにも「廃線跡」です。
元の踏切部分が盛り上がった道路。廃線時に平坦にすれば良さそうなものですが・・・。ちょっとした地形の変化が鉄道の痕跡を今に伝えています。
この踏切跡の近くに「関西ノート」がありました。神戸っ子なら小学生の時にみんな使ったあの「神戸ノート」は、ここで作られているんですね!ちなみにむ~パパのときはB5版でしたが、む~さんやた~さんはA4版を使っていました。教科別の色や写真に使われた神戸の風景、未だに内輪で盛り上がる話の種になっています。
国道2号線との交差部。写真は南側から撮影。横断歩道部分が廃線跡。線路敷地の幅で建物が建っています。上を走るのは阪神高速道路。
航空写真で二股に分かれているところ。左側すなわち東側の廃線跡はそのまま歩道となって続きますが、西側は建物が建っていて分かりにくくなっています。
ここに来て、まさしく「鉄道用地」らしい細長い空き地が残っていました。この先は不自然に広い歩道となっています。
かつて線路は道路を渡って貯蔵施設へ延びていました。タンク貨車が行列していたはずです。
西側のもう1本はパチンコ店などが建ち線路跡に沿って歩くことが難しいのですが、踏切の跡が盛り上がった道路になって残っていたりして、探索すると面白いものです。

いかがでしたか?廃線跡探索はこれからも続きます。

【廃線跡】国鉄鷹取駅南専用線を歩く” への2件のコメント

  1. こんばんは。初めまして。いつも興味深い記を楽しみにしています。

    旧二葉小学校区に震災まで住んでいて、須磨海岸に行くとき付近をよく通りました。子供ながら不自然に幅の広い緑地帯と思ってました。貯蔵施設内に線路が残っていたのを覚えています。

    神戸ノートがすぐ近くで作っていたとは。初めて知りました。

    • かえるじまさま こちらこそ初めまして。ご訪問いただきありがとうございます。貯蔵施設内に線路が残っていた時代をご存じなのですね!興味深いお話です。今回、実は付近を探索中、たまたま神戸ノートの会社を見つけました。かつて東須磨に住んでいたのに、実は私もこのほど初めて知った次第です。

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