川崎ライナーさま コメントありがとうございます。 当時6両編成化を見越した上で待避線を作るのは用地などの問題で難しかったのでしょうね。設備は歌敷山駅へ移設する形で新設の霞ヶ丘駅(建設当時は舞子駅と称していたようですが・・・)となり現在に至っています。 返信 ↓
山陽垂水駅、かつては地上駅だったのですね!しかも4番線まであり、須磨駅や明石駅のように「特急待ち」をしていたのですね。 山陽垂水駅は、2番線の長いホームの高架駅だと思っていました。特急が停まる駅ですが「特急待ち」がない駅というイメージがあります。 2000系ですが、特急として活躍している写真をよく見ますので、特急としての運用が多かったのではと思います。神戸高速線が開通した後は、阪急六甲まで行っていたのではと思いました♪ 国鉄の垂水駅が先に高架駅になったのですね。旧型国電の高槻行きの普通電車、 車体と「高槻」の行き先プレートが渋いです♪ 返信 ↓
大石六甲さま いつもコメントありがとうございます。 垂水駅周辺の高架化は比較的早く、国鉄高架化と合わせて行われたようです。国鉄も上下別々で上りが先に完成しているのが写真でも見て取れます。神戸高速線開業後、阪急六甲までは2000系だけでなく2700形も入っていたようですが、基本的に特急運用は3000系に限定されていたと思われます。京阪神緩行線の旧型国電は昭和50年代初頭でもラッシュ時に充当されていましたが、写真のような半流型セミクロスシートの車両がいつまで残っていたのかは調べてみないと分かりませんね。 返信 ↓
遅いコメントコメントになります。 垂水駅、高校3年間は通り過ぎるだけでしたがこうして写真で見てみると興味深いですね。カーブしてる駅は他にもありますがこんなに車体が傾斜してるのはここだけかも。 最近1dayチケットで撮り鉄やってるので次回はここにも寄ってみようと思います。 返信 ↓
Toshiyuki Iwaiさま コメントありがとうございます。 カントが付いていますのでカーブのある駅はどこも傾いていますが、確かに垂水駅はきつめかも知れませんね。地上時代の板宿駅も結構傾きが大きく、車体とのすき間も大きかったので、特に下りは怖かった印象があります。 返信 ↓
私は、生まれた時から小学4年生までは垂水で、小学5年生から大学までは高砂市に住んでいました。子供のころ地上駅時代の垂水駅へ電車を見に行き、レールのポイントが転換するのが面白くて何時間も眺めていた記憶があります。当時の国鉄電車の行き先プレートの図案は、京都行きが三角、高槻行きがひし形、西明石行きが四角だったと覚えています。懐かしい写真を見せていただきありがとうございました。 返信 ↓
OKdaishaさま コメントありがとうございます。 地上時代の垂水駅と旧型国電。実際に見られた方のお話ということで、大変興味深いです。旧型国電も私が子供の頃はラッシュ時のみ走っていたそうで実際に見たことはありません。知識や記録ではなく記憶として残っておられるのはうらやましいことです。 返信 ↓
高架化されても待避線があれば今より使いやすいダイヤになっていたでしょうね。
駅前中央地区のスペースからして難しかったから今の形になったと思われます。
川崎ライナーさま コメントありがとうございます。
当時6両編成化を見越した上で待避線を作るのは用地などの問題で難しかったのでしょうね。設備は歌敷山駅へ移設する形で新設の霞ヶ丘駅(建設当時は舞子駅と称していたようですが・・・)となり現在に至っています。
山陽垂水駅、かつては地上駅だったのですね!しかも4番線まであり、須磨駅や明石駅のように「特急待ち」をしていたのですね。
山陽垂水駅は、2番線の長いホームの高架駅だと思っていました。特急が停まる駅ですが「特急待ち」がない駅というイメージがあります。
2000系ですが、特急として活躍している写真をよく見ますので、特急としての運用が多かったのではと思います。神戸高速線が開通した後は、阪急六甲まで行っていたのではと思いました♪
国鉄の垂水駅が先に高架駅になったのですね。旧型国電の高槻行きの普通電車、
車体と「高槻」の行き先プレートが渋いです♪
大石六甲さま いつもコメントありがとうございます。
垂水駅周辺の高架化は比較的早く、国鉄高架化と合わせて行われたようです。国鉄も上下別々で上りが先に完成しているのが写真でも見て取れます。神戸高速線開業後、阪急六甲までは2000系だけでなく2700形も入っていたようですが、基本的に特急運用は3000系に限定されていたと思われます。京阪神緩行線の旧型国電は昭和50年代初頭でもラッシュ時に充当されていましたが、写真のような半流型セミクロスシートの車両がいつまで残っていたのかは調べてみないと分かりませんね。
遅いコメントコメントになります。
垂水駅、高校3年間は通り過ぎるだけでしたがこうして写真で見てみると興味深いですね。カーブしてる駅は他にもありますがこんなに車体が傾斜してるのはここだけかも。
最近1dayチケットで撮り鉄やってるので次回はここにも寄ってみようと思います。
Toshiyuki Iwaiさま コメントありがとうございます。
カントが付いていますのでカーブのある駅はどこも傾いていますが、確かに垂水駅はきつめかも知れませんね。地上時代の板宿駅も結構傾きが大きく、車体とのすき間も大きかったので、特に下りは怖かった印象があります。
私は、生まれた時から小学4年生までは垂水で、小学5年生から大学までは高砂市に住んでいました。子供のころ地上駅時代の垂水駅へ電車を見に行き、レールのポイントが転換するのが面白くて何時間も眺めていた記憶があります。当時の国鉄電車の行き先プレートの図案は、京都行きが三角、高槻行きがひし形、西明石行きが四角だったと覚えています。懐かしい写真を見せていただきありがとうございました。
OKdaishaさま コメントありがとうございます。
地上時代の垂水駅と旧型国電。実際に見られた方のお話ということで、大変興味深いです。旧型国電も私が子供の頃はラッシュ時のみ走っていたそうで実際に見たことはありません。知識や記録ではなく記憶として残っておられるのはうらやましいことです。