楽しいむ〜さん一家

月見山から山の手を(後編)

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傾斜15%の坂を下ったむ~さん一家、さらに東へ。大手町と呼ばれる東須磨駅山手を散歩していきます。このあたりも昔からの住宅地ですが、月見山とは違いやや庶民的な空気と言えます。狭い道がくねくねと続いています。現在は板宿と東須磨を結ぶ太い車道が通じており、多くの古い家が取り壊されて雰囲気が変わってしまいましたが、以前はクルマでは入れない地域でもありました。

これは平家物語ゆかりの勝福寺の門前で見かけた民家。玄関周りの一部がいわゆる洋館のような感じになっています。別棟になっていたりする場合もありますが、多くは和風建築に付属して一部が洋風になっていたりします。この手の建物は戦前に流行したもので、のち建物の中に取り込まれ「洋室」となっていくものです。む~パパも知人の家がこのスタイルをしており、その部屋だけ鍵も洋風だったことを思い出しました。取り壊す前に写真を撮っておけば良かったと・・・。

勝福寺から南下する道はかつて山陽電車の大手踏切道に通じていました。

鉄製の電柱です。電車の鉄柱みたいな形ですね。

・大手踏切道跡(写真の突き当たりのところ)
かつて踏切の東側上り線にプラットホームが残っていました。これは大手駅の跡で1943(昭和18)年ごろまで使われていたそうです。山陽電車の地下化工事まで長い間残っていましたが、今ではその痕跡もありません。

・大手踏切道と旧大手駅プラットホーム(1990年ごろ)

・地上時代の板宿駅を出て大手踏切道を通過する阪神電車(1990年ごろ)
写真に写っている踏切の南側の森、「須磨の権現さん」として親しまれている證誠(しょうせい)神社です。実はむ~パパの氏神さまです。はい。この神社の真北、線路を挟んだ住宅地に妙な神社を見つけました。

・住宅地に突如出現する異空間。ただし背面です。

・こちらが間違いなく正面。どうやって参拝するのでしょう?
大物主とかいくつかの石に彫られていまして、一応神社らしいのですが北側の道路に接した部分に入口がありません。基本的に神社は南面しているものがほとんどなのですが、正面と思われる南側の鳥居がすぐに住宅に接しており、とても正面から拝める状況にないです。以前はここも権現さんの敷地だったのか、土地の神様として祭られていたものを集めたのかよく分かりませんが、特異な形状であることは確かでしょう。このあたり一帯はかなり昔から開けていて集落も形成されていましたので、何らかの経緯はあるのでしょうね。
子供たちを公園で遊ばせながら、のどが渇いたむ~パパ、缶ビールで休憩、休憩・・・。


A:須磨裕厚病院
B:旧大手踏切道へ向かう鉄柱のある坂道
C:大手踏切道跡と旧大手駅ホームがあった場所
D:妙な神社
E:證誠(しょうせい)神社

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東須磨から板宿へ。山陽電車で路上観察!
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