楽しいむ〜さん一家

月見山から山の手を(前編)

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弥刀の住んでいる月見山も生活感から自由になれない下町だが、少し山手に行けば皇族の離宮だった広い公園がある。月見山という地名も平安時代に都から流されてきた貴族が月見をしたというのが由来だそうだ。(森田季節「ともだち同盟」より)」

「ともだち同盟」については”聖地巡礼”報告をブログに書いている方が多いのと、ネタバレになるのでこれ以上詳しくは書きません。ただ山陽電車が物語の中心に登場する数少ない小説(少々特異な世界観が展開しますが・・・)とは言えるでしょう。と今回な~んの脈絡もなく、む~さん一家はその月見山にやって来ました。「ともだち同盟」主人公の一人、大神弥刀は離宮公園のすぐ下に住んでいるそうです。でもまあ、そちらには行きません。

せっかく来たのでむ~さんの写真を撮ります。月見山駅前の踏切を挟んで西側には1948(昭和23)年まで使われていた旧上りホームが残っています。昔は沿線各所にこんな遺構がありましたが、かなり減ってきました。何気なく乗っていると見過ごしてしまうものだけに、まめに記録しておくことも必要ですね。
 
これが旧ホームです。白線(点線というべきでしょうか)が残っています。そもそもホームの白線って一体いつごろから日本の鉄道駅にこのスタイルで存在するものなのでしょうか?1948年に使われなくなったホームですでにあるということは、たぶん戦前からあったものなのでしょうね。また調べておきましょう。高さが今より低いですが、当時は路面電車然とした車両を使用しており、逆に現在のような規格の車両がこの区間に入ってくるのも同じ1948年ですから、大型車の導入に合わせてホームを移設したと考えるのが自然でしょう。

駅の北側には昔ながらの住宅地が広がっています。道が狭いので車で迷い込むと大変なことになりそう。駅のすぐ東側には月見山駅のホーム下をくぐる地下道の入口がぽっかり・・・。なかなかシュールな風景でしょ。東へ進み天井川を渡ると須磨離宮公園の植物園側入口が近いのですが、今回は行きません。そして、またしても寄り道・・・。

三菱重工さんの社宅があり、高台のビューポイントです。ここから下側に出る怪しげな地下道というかトンネルがあったはず、と記憶を頼りに行ってみると・・・。

あっ、あれれ。トンネルそのものはまだあるようですが、入口は見事に塞がれていて通行不能でした。ちなみにこのトンネル、途中で曲がっていたので出口が見えない上、急な坂になっていました。(社宅内は私有地です。みだりに立ち入らないように・・・。)

三菱重工社宅の向かい側、旧須磨高校の脇から山裾を辿るルートを。若木町・上細沢町のあたりで、北側を向くと坂ばかり。平坦な地で育ったむ~ママは「こんなところで生活をするなんて信じられん」そうですが。そのまま歩くと以前は東須磨駅からまっすぐ上がってくる道に突き当たっていたのですが、現在途中が開発されて住宅地になり、旧道と団地内道路が不自然な形でつながっています。

ここに傾斜15%の急坂が待っています。写真ではあまり実感が湧きませんが・・・。登り詰めた先に昔から須磨裕厚病院があり、平屋の建家がレトロな雰囲気を漂わせていますが、ここから海側を振り返ると、いかにも坂の街神戸らしい風景が広がります。東須磨でもこんな風景が見られることは、このあたりにお住まいの方はともかく、あまり知られていないような気がします。
ここからさらに上がると高尾台に通じる道があります。戻ってくるのが大変なので今日はここで折り返します。

急坂の途中には小さな谷もあります。以前、この工事用フェンスの向こう側は木造アパートがそれこそ谷底に至るまで建っていました。この道路にはアパートの2階部分が面しており、階段で1階部分に降りると下段に建っているアパートの2階部分があるという感じです。長田の山手に行けばまだまだ残っていそうな風景ですが、東須磨の方はきれいに取り払われ、ただの谷に戻っていました。む~パパ、密かに「ラピュタの谷(なんのこっちゃ)」と呼んでいたので、ちょっと残念・・・。

この坂を下りたあとは旧大手踏切道付近へ向かいます。(続く)

A:月見山駅
B:月見山地下道へ続く道
C:三菱社宅入口
D:上細沢町へ向かう坂道
E:小さな谷
F:須磨裕厚病院


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月見山から東須磨へ。山陽電車で小さな沿線散歩をお楽しみください。
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