楽しいむ〜さん一家

【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その3

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さて、ここからは山陽電車の線路を目指すウォーキングとなります。実は今まで頼りにしてきたGoogle昔の航空写真1961~1964年でも、現在の姫路バイパス以南の痕跡は消えています。そこで他の方が載せておられた1947年の航空写真を元に現地を歩いてみました。
現在の航空写真に白濱鉄道を描いてみました。大体こんな感じのはずです。(写真:Google Map)縮尺が小さくなりすぎるので中途半端な感じですが、①の北側を通っているのが姫路バイパス。鉄道と交差する付近が姫路東ランプ。③の右下の四角い部分が姫路市立灘中学校。山陽電車白浜の宮駅は地図から切れていますが中学校の右下あたりに位置しています。
姫路バイパスの姫路東ランプをようやく横断(横断歩道がないので非常に危険です。歩かれる方は西にバイパスをくぐる道があるので、そちらへ迂回しましょう。)して、線路と道路が交差する上図①の地点へ。写真は南側から御着駅方向を撮っています。全く痕跡が残っていません。
上図②地点。このあたりで白濱鉄道とこの道路が交差していました。すぐ南側に姫路市立糸引小学校があります。1961年当時、田んぼに戻っているのが分かりますが、現在は完全に区画整理された住宅地になっており、何の痕跡も残っていません。
上図③の線路跡と並行する道路。この先で山陽電車松原県道踏切と交差します。
上図③付近。鉄道の路盤に見えなくもないです。ここを通っていたはず・・・。
上写真の路盤?築堤?に続く部分。民家の塀があるところと思われます。
姫路市立灘中学校。軍需工場の建物を使用して開校したといいます。
灘中学校の先、松原県道踏切を通過する山陽電車。目と鼻の先まで軍用鉄道が敷かれていたのは驚きです。
歩き疲れたので山陽電車で帰ることとしましょう。
今回歩いた大体の行程です。(出典:Google Map)

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【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その2

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さて、鉄道の痕跡が全くない田んぼで途方に暮れるむ~パパではありますが、この先で比較的有名な痕跡へ向かいます。
写真左にある大歳神社の前を線路が通過していたはずですが、本当に何も分かりません。
またまた「Google昔の航空写真」に登場いただきましょう。1961~1964年のこの付近。田んぼの真ん中に薄く線路の痕跡があります。
こんな感じです。60年前だと結構残っていたんですね。
そして現在。姫路バイパスが東西を貫き、大きなトラックターミナルも出来て痕跡は失われていると思いきや・・・。
どうやらこの3か所に辛うじて残っているように思われます。行ってみましょう。
他の方のブログでは紹介されていませんが、土地の形状から廃線跡であると推定される場所。上の航空写真で最上部に短く残っている部分です。60年前からこのままですので、間違いないと思います。
さて、航空写真中央に比較的長く残っている部分。路盤はなく土地区画の形状として分かる程度です。この先に以前はしっかりした路盤が残っていたそうですが、現在は太陽光パネルが設置されており痕跡はありません。この後、線路跡は正面に見えるホテルの敷地へ続きます。
そのホテルまで来てみました。写真中央の塀が線路跡。敷地の境界の形として残っていますが60年前の写真から見て、当時も何か段差のようなものがあったかも知れません。
八家川。この辺で渡っていたはずですが、橋台等の痕跡は発見できませんでした。奥は姫路バイパス。

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【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その1

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1944(昭和19)年4月といいますから戦時中のこと。姫路市白浜の地に大阪造兵廠姫路白浜製造所という軍需工場が開かれました。現在の灘中学校は戦後この建物を流用して開校したとの話で、山陽電車白浜の宮駅から北西の方角になります。この工場では上陸用舟艇や特攻船を作っていたとのことで、付近の小学生までもが動員されていたようです。資材を運ぶため山陽本線御着駅から線路が敷かれており「白濱鉄道」と呼ばれていました。今回は他の方のブログなどを参考として実際に現地を歩いてみました。
JR御着駅。姫路から2つ東にあたる山陽本線の駅です。こじんまりした木造駅舎が良い雰囲気ですね。
駅前ロータリーに面した古い建物。かつて旅館でもしていたのでしょうか?
毎度おなじみとなったGoogle昔の航空写真より。1961~1964年の御着駅付近。線路跡がくっきりと残っているのが分かります。
御着駅から神戸方向に向かい南側へ分かれる軍用線。
白濱鉄道が分岐していた地点。高架は山陽新幹線。大きくカーブを描いていた部分は区画整理により姫路工業団地となっており、当時の面影は全くありません。
関係ないかも知れませんが、分岐して右カーブが終る地点にあるJR西日本テクノスの工場。この会社は改札機やエレベーターといった駅内設備の製作を担っており、旧国鉄時代から関係会社として存在しました。航空写真によると比較的近年まで空き地だったところで、ひょっとして国有地のまま残っていた場所かも。
この先は写真の1961~1964年時点でも痕跡が不明確なのですが、現在の写真と比較したところ、当時と同じと思われる区画を発見しました。
現在の同付近。赤線で示した部分はどうやら廃線跡のようです。
ここです。う~ん。本当かな・・・。微妙なカーブが線路っぽい(?)。先に見えるのは「文化シャッター」の工場。廃線跡、敷地内を貫通しているはず。
その延長線上をたどっても、もう訳が分かりません。地図上ではこの辺のはず。南から御着方向を撮ってみました。

この先にようやく廃線跡らしい遺構に出会います。クリックにもご協力を!
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