楽しいむ〜さん一家

【神戸姫路電気鉄道の車籍】近江鉄道「あかね号」まもなく引退

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近江鉄道の「あかね号」。本年5月6日をもって引退するということで、ファンの間で話題となっています。

これが「あかね号」モハ701+モハ1701。西武鉄道のクモハ438+437を彦根工場で大改造した車両で、近江鉄道100周年を記念した特別な存在です。

車内は転換クロスシートを装備。これはJR東日本の「踊り子号」で使用される185系に使われていたシートだそうです。

いや、なんで近江鉄道が?という話ですが、以前も「楽しいむ~さん一家」でご紹介しましたが近江鉄道と山陽電車は、ともに宇治川電気(現:関西電力)を通じて系列会社であった時期があり、明石~姫路間を開通させた神戸姫路電気鉄道を最初に走った車両の車体が、近江鉄道最初の電車となった経緯があります。


西武の電車を改造したこのモハ701+モハ1701のうち、写真のモハ701はあくまで書類上、神戸姫路電気鉄道の6号を改造したことになっているのです。すごいことだと思いませんか?

そう、大正12年。初めて明石~姫路間を走った電車が、あくまで書類上は近江鉄道の「あかね号」として生きているのです。ネジ1本残っているわけではないんですけどね。


700形の運転台。実は彦根工場製の電気指令式ブレーキを装備しています。他社には見られない手作り感満載のブレーキハンドルが魅力的!

鉄道むすめ「豊郷あかね」。む~パパからコメントすることはありませんが・・・。

小田原から伸びる同じ西武鉄道系、伊豆箱根鉄道の鉄道むすめとコラボされていました。
(写真は伊豆箱根鉄道小田原駅で)

少々脱線しましたが、山陽電車ではすでに消え去った神戸姫路電気鉄道の名前が、近江の地で生きていることを面白く感じた次第です。クリックにもご協力を!
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近江鉄道に山陽電車のルーツが生きる

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滋賀県彦根市に本社がある私鉄、近江鉄道。

こんな色のバスや電車が走っていたりする、まんま”西武”系の会社なわけですが、かと言って(少々脱線しますが)本家西武の路線バスは実はライオンズカラーではなくて、

この写真にある渋い感じなわけです。1枚目の近江鉄道バス、わざとらしく珍しい3つ扉のある車両を選んで載せましたが、これは元西武バスだそうで西武にいた頃はライオンズカラーではなかったという、ややこしい話になります。

脱線が過ぎました。

本当のところ、む~さん&む~パパ、近江鉄道へはこの写真に写る220形という電車がラストランだというので撮影に行ったのです。路面電車を除けば恐らく関西圏では最後の「吊り掛け駆動」の電車。5月31日の出来事です。

さてさて、では近江鉄道と山陽電車の接点とは何でしょう?大正時代、近江鉄道は山陽電車の前身である宇治川電気の系列だったことがあるのです。不景気による余剰電力の販売先を探していた宇治川電気は山陽電車の前身である兵庫電気軌道と神戸姫路電気鉄道を合併し、こちらは現在の山陽電車の原型となるのですが、当時電化されていなかった近江鉄道を電化して電気を販売しようと考えます。しかし、近江鉄道を電化しても電車がありません。そこで大型のため明石以東に入れず使用中止して今話題の西新町にあった明石工場で眠っていた神戸姫路電気鉄道1形の車体を使い「近江鉄道最初の電車」が登場したのです。

それは1928(昭和3)年のこと。当然当時の車両が残っているはずもありません。

が、しかし。近江鉄道には書類上「何かの車両を改造しました」といった歴史を持つ車両が少なくないとか。

この車両は現在の近江鉄道の主力である800形電車。西武鉄道からやって来た車両です。例えば写真の806号車、書類上は神戸姫路電気鉄道の1形を改造したことになっているそうです。そう、貴重な神戸姫路電気鉄道の”生き残り”ということに・・・、

なるわけがないじゃないですか!

車体も台車も床下機器も、実際全く神戸姫路電気鉄道の車両部品は使われていません!あくまで書類上のお話。

でも、書類だけになっても「神戸姫路電気鉄道」の社名が、遠く離れた地でまだ生きていることに、ある種の感慨を覚えるむ~パパでありました。

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