むーさん、お久しぶりデス♪ 明石車庫の写真、初めて見ました! 206号が現役バリバリに走っていたのですね。820形や850形を知ったときは、普通として走っていて、明石・東二見などで3000系や3050系の特急と待ち合わせをしていました…。 でも「特急」として走っていた820形や850形は、姫路-兵庫(神戸)間を颯爽と走っていたのではと思いました(^^)/。 明石車庫が東二見に移転してからも、本線沿いに土木部の黄色い作業車が停まっていましたね。 西新町駅が高架駅になってから、周辺の様子がガラリと変わったと思います。 返信 ↓
大石六甲さま お久しぶりです。コメントありがとうございます。 私も820や850が普通車として走っていたのを見たくらいで、非貫通の頃はもちろん2両編成の時代も知りません。西新町駅も地上時代はまだ車庫だった頃の面影があちこちに残っていましたが、確かに高架化されて様変わりしましたね。206号はもう少し大きな写真があったので、またご紹介したいと思います。 返信 ↓
明石車庫の写真を見ると、当時の主力車両が勢揃いという感じがします♪ その後、3連・4連が主流になり、車庫のスペースを検討することになり、現在の東二見に移転したのではと思いました。 850系の編成といえば、288 – 854 – 855の編成を思い出しますし、実際に乗ったことがあります。855号が姫路寄りですネ(^^)♪。この編成の普通新開地行きに乗り、神戸高速線を走っているとき、地下線を走っているときの轟音が好きでした。新開地駅に着いた後、回送車として、高速神戸駅に行き、普通姫路行きとしてホームに停車していました。昔は、新開地駅・高速神戸駅のホームの行き先案内表示器は「パタパタ式」で、行き先のオレンジ色の文字が懐かしいです。 新開地行きは新開地駅で「当駅止まり」、高速神戸行きは高速神戸駅で「回送」の表示になっていたと思います。高速神戸行きは「回送」になり、新開地駅に戻り、普通姫路行きや普通飾磨行き等になっていたと思います。 昔は、普通東二見行きが昼間も多く走っていましたが、ダイヤ改正のごとに減っていきました。その頃、普通須磨行きや普通霞ヶ丘行きは「レア」でしたが、今はよく見るようになりましたネ。普通明石行きは、今でも「レア」だと思います(^^)♪ 神戸高速線が開通するまで、山陽は当時の兵庫駅の辺りの路面を走っていました。 先日、京阪電車の京津線に乗ったのですが、びわこ浜大津ー上栄町間に路面区間がありました。路面電車風ではない車両が路面を走る姿は、少し違う感じがしますネ。 返信 ↓
大石六甲さま コメントありがとうございます。 850形最終編成はさよなら運転に参加しましたのでよく覚えています。地下線に轟音は吊り掛け駆動の車両は特に大きく、一体どこまでボリュームが上がるのかと思ったものです。2700形もかなりうるさかったと記憶します。私も高速線内の行先表示は「パタパタ式」をよく覚えています。メンテナンスは大変でしょうが、それなりに分かり易くて好きでしたが・・・。電車は今でも高速神戸→新開地へは「回送 姫路」で走っているのではないでしょうか。自動式のものは車掌が操作しますのでホームに着くころには「普通 姫路」になっているのかなと思います。東二見行きが多く走っていたのは特急20分ヘッドの頃ですね。 返信 ↓
むーさん、お久しぶりデス♪
明石車庫の写真、初めて見ました!
206号が現役バリバリに走っていたのですね。820形や850形を知ったときは、普通として走っていて、明石・東二見などで3000系や3050系の特急と待ち合わせをしていました…。
でも「特急」として走っていた820形や850形は、姫路-兵庫(神戸)間を颯爽と走っていたのではと思いました(^^)/。
明石車庫が東二見に移転してからも、本線沿いに土木部の黄色い作業車が停まっていましたね。
西新町駅が高架駅になってから、周辺の様子がガラリと変わったと思います。
大石六甲さま お久しぶりです。コメントありがとうございます。
私も820や850が普通車として走っていたのを見たくらいで、非貫通の頃はもちろん2両編成の時代も知りません。西新町駅も地上時代はまだ車庫だった頃の面影があちこちに残っていましたが、確かに高架化されて様変わりしましたね。206号はもう少し大きな写真があったので、またご紹介したいと思います。
明石車庫の写真を見ると、当時の主力車両が勢揃いという感じがします♪
その後、3連・4連が主流になり、車庫のスペースを検討することになり、現在の東二見に移転したのではと思いました。
850系の編成といえば、288 – 854 – 855の編成を思い出しますし、実際に乗ったことがあります。855号が姫路寄りですネ(^^)♪。この編成の普通新開地行きに乗り、神戸高速線を走っているとき、地下線を走っているときの轟音が好きでした。新開地駅に着いた後、回送車として、高速神戸駅に行き、普通姫路行きとしてホームに停車していました。昔は、新開地駅・高速神戸駅のホームの行き先案内表示器は「パタパタ式」で、行き先のオレンジ色の文字が懐かしいです。
新開地行きは新開地駅で「当駅止まり」、高速神戸行きは高速神戸駅で「回送」の表示になっていたと思います。高速神戸行きは「回送」になり、新開地駅に戻り、普通姫路行きや普通飾磨行き等になっていたと思います。
昔は、普通東二見行きが昼間も多く走っていましたが、ダイヤ改正のごとに減っていきました。その頃、普通須磨行きや普通霞ヶ丘行きは「レア」でしたが、今はよく見るようになりましたネ。普通明石行きは、今でも「レア」だと思います(^^)♪
神戸高速線が開通するまで、山陽は当時の兵庫駅の辺りの路面を走っていました。
先日、京阪電車の京津線に乗ったのですが、びわこ浜大津ー上栄町間に路面区間がありました。路面電車風ではない車両が路面を走る姿は、少し違う感じがしますネ。
大石六甲さま コメントありがとうございます。
850形最終編成はさよなら運転に参加しましたのでよく覚えています。地下線に轟音は吊り掛け駆動の車両は特に大きく、一体どこまでボリュームが上がるのかと思ったものです。2700形もかなりうるさかったと記憶します。私も高速線内の行先表示は「パタパタ式」をよく覚えています。メンテナンスは大変でしょうが、それなりに分かり易くて好きでしたが・・・。電車は今でも高速神戸→新開地へは「回送 姫路」で走っているのではないでしょうか。自動式のものは車掌が操作しますのでホームに着くころには「普通 姫路」になっているのかなと思います。東二見行きが多く走っていたのは特急20分ヘッドの頃ですね。