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【阪急電車】神戸側起点の上筒井駅跡付近を探索(その2)

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今回は「その2」ということで、阪急神戸線の最初のターミナル、上筒井駅。現在の王子公園から上筒井に至る廃線跡をたどります。
出典:Google昔の航空写真
1945~1950年の王子公園駅(当時は西灘駅)付近。戦後すぐの撮影のようで、空襲の跡も生々しく焼け野原が広がっているようです。山手幹線はすでに延長されていますし、市電も1941(昭和16)年には原田まで延長されています。阪急上筒井線廃止(1940年)から最長でも10年。空襲もあったためか何が何だか分からなくなっているようですが、よく見ると途中までは残っているような・・・。
赤が阪急、青が国鉄(現JR)です。黄色で示した部分が廃線跡です。この時代すでに点線で示した部分は廃線跡が定かではなくなっていますが、実線で囲った部分は土地の形がまだ線路跡であることを示しているようです。
現在(出典:Google 昔の航空写真)。
よく見るとまだ区画としては残っているような感じがします。
阪急上筒井駅跡は現在兵庫県福祉センターの敷地となっています。駅の痕跡は全くありません。
阪急電車はこの写真の左側の敷地(上筒井駅)からこの交差点を斜めに横切って、右側の敷地に入っていました。痕跡は全くありませんが、それ以上に傾斜が急なことが気になります。出発してすぐ下り坂おまけにカーブしていたということでしょうか。

ここから先は廃線跡らしき区画がありますが、私有地ゆえ立ち入りは不可能です。

唯一廃線跡に沿っていると思われる部分。この奥の住宅部分が該当します。

古い地図によると、この道路が途中で折れている部分を上筒井線が横切っていたようです。

恐らく正面のマンションが廃線跡に建っているものと思われます。

何となく残っているような雰囲気なのですが・・・。クリックにもご協力を!
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【阪急電車】神戸側起点の上筒井駅跡付近を探索(その2)” への4件のコメント

  1. この時代は、新開地や湊川が繁華街として賑やかだったと思いますが、阪神が、湊川までの乗り入れを計画していて、阪急も新開地まで
    乗り入れていたら、どうなっていたものか?
    山陽も神明急行で湊川まで計画あったと聞いたことがあります。上筒井は触れていなくてすみません。

    • ヨッシーさま コメントありがとうございます。
      各社が戦前の段階で計画を実現していれば神戸高速も現在の形ではなく、市電の役割も違い、町そのものも今とは違ったものになった可能性はあります。すべては「もしも」ではありますが、山陽電車の神明急行計画も、実現していれば本線はそちらになり後に開発された団地の中心部を通る路線として大きく成長していたかも知れません。

    • あんこさま コメントありがとうございます。上筒井はこれぞ「廃線跡」と言えるような痕跡はないのですが、王子公園駅は明らかに残っていますので、そこから探索してみると面白いですよ。

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