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【3000系と同期】名残の103系を狙う!

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山陽電車とは全く関係ないのですが、京都鉄道博物館に行って来ました。


表に展示されている新幹線0系。0系自体は長らく製造されていましたが、ここに保存されているのは貴重なトップナンバー編成。引退して35年以上は経っているはずで、以前は大阪の交通科学博物館に展示されており、このほど京都に引っ越して来たもの。

この0系、山陽3000系と同じ1964(昭和39)年に登場、翌1965(昭和40)年度鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞しました。同年に「ローレル賞」を受賞したのが山陽3000系というわけです。

さて、同じ場所に展示されている大阪環状線の電車。103系のトップナンバー、クハ103-1です。登場時は山手線で活躍、車体も「うぐいす色」でした。

この車両は山陽3000系と同じ1964(昭和39)年に量産が始まった通勤型電車で、日本で最も多く作られた電車です。旧国鉄時代、実に約3500両が首都圏や関西圏・中京圏等で活躍し、我が国の高度成長を支えました。地味ながら「名車」と言えるでしょう。

実は・・・、山陽3000系が「ローレル賞」を受賞したとは言え、鉄道友の会の会員投票ではこの103系の得票数のほうが多かった、らしいです。山陽電車に賞が回ってきたのは「地方私鉄としては意欲的な取り組みの車両」ということで特段の評価をされたんだとか。まあ、もらっちゃえば「勝ち」なんですけれども。

というわけで山陽3000系の「公式ライバル」である103系。すでにJR東日本では引退し、まとまって残るJR西日本でも今年中に主要線区からは引退するようです。

阪和線で最後の活躍を見せる103系。最後だと思うと炎天下でも「暑い」と言っている場合ではありません。ちなみに先頭に立つクハ103-148は1969(昭和44)年、神戸の川崎重工で生まれ、明石電車区に配置されました。同時期に生まれた山陽3000系と須磨~明石間で並走していたことでしょう。すでに新型車225系も投入されており、まもなく引退するものと思われます。(2016.8.6 浅香駅 大和川橋梁)


うぐいす色の関西線103系。最後尾のクハ103-198は1972(昭和47)年、明石電車区に登場。当時はブルー塗装で、こちらも山陽電車と並んで走った経験の持ち主。
(2016.8.6 天王寺駅)


順次3扉車323系に置き換わる大阪環状線の103系。オレンジ1色の電車が大阪の街を走るのも見納めになりそうです。最後尾のクハ103-841は1981(昭和56)年、森ノ宮電車区に登場、1年ほど明石電車区にいたことはあるのですが、現在は古巣に戻り最後の活躍中。
(2014.3.16 森ノ宮駅)

山陽電車3000系の同期。昭和の通勤輸送を支えた名車にも迫ります。
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【3000系と同期】名残の103系を狙う!” への4件のコメント

  1. ついに103系が引退してしまうのはとても残念です。色や車両に渋みがあるところにやはり味わいがあったと思います。東京のようにそれぞれのカラーが受け継がれるのに期待したいです。

    • iyottonenさま 関西線に古い101系や非冷房の113系が走っていた頃によく利用していたので、いつの間にやら103系も引退とは隔世の感があります。とは言え山陽3000系の同期車両ですし、当然引退する時期なんだろうな、とは思いますが・・・。阪和は225系で、環状は323系で置換え、201系が103系の残党を置換えるのでは?と予想します。

  2. 大和路線沿線民の僕も動向が気になります。

    大和路線は大阪に行く人が多いので103系は
    早朝・深夜の1部を除いて王寺~JR難波の各停専用化していますし。 そもそも難波行の快速が皆無状態です。

    • ファミコン現役さま コメントありがとうございます。大和路線というか私にとっては関西線という呼び方がまだしっくりくるのですが、確か6両編成は数本しかなかったですよね。東京の人から見れば「まだ走っているのか」と思われるでしょうが・・・。いよいよ葬式鉄さんが押しかけてきそうで、ゆっくり撮れそうにないですね。

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