楽しいむ〜さん一家

2000系アルミカーさよなら運転(1990.4.29)

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山中温泉で日本最初を称するアルミカーを見た、というお話をしました。む~パパの個人的旅行と山陽電車を強引にこじつけてしまったわけなんですが、今日は「日本最初のアルミカー」山陽電車2000系2012号現役最後の姿を真面目に紹介します。む~パパ、高校の先輩に誘われて「さよなら運転」に出かけたのは1990(平成2)年4月のこと。昨日のことのような気もしますが、それは24年も前の話。時の経つのは早いものです。

当日の乗車証。さよなら運転はこの日の1回限りではなく、翌日もやっていたと思います。「午前の部」ということは「午後の部」もあったのでしょうか?記憶があやふや、さすが24年の年月。昨日のことのようで、む~パパ、すっかり忘れています。

東須磨駅で出発を待つ2012号。現役車らしい”生きている”感があります。今も当時のままなんですが、残念なことに何となく”もう動きそうもない”雰囲気です。

2012号の屋根です。む~パパ、模型を作るために絶対必要なパンタグラフ周りの配線を撮っていました。なぜ姫路寄りの2013号のほうを撮っていなかったのか不明ですが、当時はデジカメといった便利なものはありません。フィルム代はもちろん、現像代が小遣いを圧迫していた、そんな時代です。む~パパは今のところ近々に模型を作る予定はありませんので、モデラーのみなさん、是非資料にお使いください!赤い高圧配管が山陽電車らしさのポイントです。

姫路駅で。当時はホームの屋根が短かったことが分かります。それにしてもこの2012号、今は完全にネズミ色って感じになっちゃってますが、当時はきちんとアルミカーらしい銀色をしていますね。 
たぶん、乗車した次の日、今度は走行シーンを撮りに行こうと舞子公園まで。まだ明石海峡大橋は無く(この角度では現在も写らないですが)、移情閣は移築されてしまっています。また、2012号先頭部のすぐ後ろに写っている洋館の付いたお屋敷も最近取り壊され、マンションになってしまいました。そう思うとこの風景も随分変わったものです。

それにしても2000系アルミカーは1962(昭和37)年から1990(平成2)年まで28年間の活躍でしたが、3000系アルミカーは1964(昭和39)年から現在まで50年、今なお現役です。そろそろ引退かと思いつつも、いつまでも走っていてもらいたい、そういうのもファンの心情かな、と。

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2000系アルミカーさよなら運転(1990.4.29)” への4件のコメント

  1. 突然のコメント大変失礼いたします。
    2000系アルミカーのサヨナラ運転は、4月29日と30日、それぞれ午前の部と午後の部がありました。
    小生、4月30日の午後の部(つまり正真正銘の最終列車)に乗車しました。

    • 明石蛸さま、コメントありがとうございます。
      む~パパも2000系さよなら運転に参加しました。4月29日午前の部だったと記憶します。4月30日は舞子付近で写真を撮っていました。明石蛸さまは私が撮った列車に乗っておられたのですね!

  2. 私の親父が、山陽電鉄の飾磨列車区で指導運転士やっていた頃に、親父の運転する2012号のアルミカーに乗ったのが、親父の最後の営業運転ってのが34年前の高校時代の思い出でした(親父は定年退職しましたがまだ生きてます(笑))。この親父との思い出深い山陽電鉄が誇る日本最初で最古のアルミカーを劣化させない様に保存してもらいたいものですね。綺麗な写真を見せて頂きありがとうございます。

    • べっち777さま コメントありがとうございます。本文にもありますが2012号のさよなら運転からすでに29年。関東圏では29年も経てば電車の世代ももう一回りしそうな時間ですね。お父様は山陽電車の運転士さんだったのですね!2000系はブレーキ扱いが難しかったと聞いています。今の運転士には扱えないものなのでしょうね。

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