山中温泉で日本最初を称するアルミカーを見た、というお話をしました。む~パパの個人的旅行と山陽電車を強引にこじつけてしまったわけなんですが、今日は「日本最初のアルミカー」山陽電車2000系2012号現役最後の姿を真面目に紹介します。む~パパ、高校の先輩に誘われて「さよなら運転」に出かけたのは1990(平成2)年4月のこと。昨日のことのような気もしますが、それは24年も前の話。時の経つのは早いものです。
当日の乗車証。さよなら運転はこの日の1回限りではなく、翌日もやっていたと思います。「午前の部」ということは「午後の部」もあったのでしょうか?記憶があやふや、さすが24年の年月。昨日のことのようで、む~パパ、すっかり忘れています。
東須磨駅で出発を待つ2012号。現役車らしい”生きている”感があります。今も当時のままなんですが、残念なことに何となく”もう動きそうもない”雰囲気です。
2012号の屋根です。む~パパ、模型を作るために絶対必要なパンタグラフ周りの配線を撮っていました。なぜ姫路寄りの2013号のほうを撮っていなかったのか不明ですが、当時はデジカメといった便利なものはありません。フィルム代はもちろん、現像代が小遣いを圧迫していた、そんな時代です。む~パパは今のところ近々に模型を作る予定はありませんので、モデラーのみなさん、是非資料にお使いください!赤い高圧配管が山陽電車らしさのポイントです。
姫路駅で。当時はホームの屋根が短かったことが分かります。それにしてもこの2012号、今は完全にネズミ色って感じになっちゃってますが、当時はきちんとアルミカーらしい銀色をしていますね。
たぶん、乗車した次の日、今度は走行シーンを撮りに行こうと舞子公園まで。まだ明石海峡大橋は無く(この角度では現在も写らないですが)、移情閣は移築されてしまっています。また、2012号先頭部のすぐ後ろに写っている洋館の付いたお屋敷も最近取り壊され、マンションになってしまいました。そう思うとこの風景も随分変わったものです。
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