楽しいむ〜さん一家

廣峯神社と牛頭天王

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む~パパ、小説や漫画を読むと、いわゆる「聖地巡礼」をしたくなるタイプなのです。そう、これは5年前のお話。む~じじの本棚に司馬遼太郎「播磨灘物語」1・2巻があったので何気なく読んでいたら、

あれれ、終わらへんやん!

実は単にむ~じじが2巻で挫折して放置していただけ。実は4巻まであるという事実を知り、3・4巻を買う羽目に。おまけに継ぎ足したのは新装本だったのでム~パパの「播磨灘物語」は1・2巻と3・4巻で本の分厚さと字の大きさが違い、大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映が決まって再読したら3巻以降、字の大きさと書体に慣れなくてしばらく読みにくかったり、と5年前と同じ状態に・・・。1・2巻を買い直す気にもならず現在に至っています。

だいぶ脱線しましたが、要するにそのとき無性に廣峯神社に行きたくなったので、む~さん一家、聖地巡礼しました!というお話なのです。

とりあえず廣峯神社の正面。5年前なのでむ~さん、めっちゃ小っさい。

室町時代築、神仏習合スタイルの本殿を裏手に回ると、丸い穴が並んでいます。これは九星に対応したもの。一体何をする穴かというと(姫路の人はよくご存じだとは思いますが)

右の札にお願いを書いて、自分の星の穴に入れるという単純明快なシステムのためのものだったのです。

はい、この通り。

で、この御幣(ごへい)をもらいます。
「あれ、色がおかしいのではないか?」そうです、気付かれましたか?む~さんが手を突っ込んでいるのは「五黄土星」。御幣は「一白水星」のものなんですね。実はこのとき年女だったむ~さんママが、主祭神である牛頭天王(ごずてんのう)にウシつながりで(あながちこじつけでもないらしい)やってみたもの。む~さん、手を突っ込んでいるだけで実は何もしていません。
その後、む~パパ、ご朱印をもらいました。

お寺で納経、神社では御朱印。最近、若い女性の間で流行っているらしいですね。

さて、この牛頭天王、現在はスサノオと習合していますが同じ神を祭る京都の八坂神社とどちらが本家かということで相当昔から揉めているようです。地元民としては瀬戸内海に面した播磨のほうが本家と思いたいところ。吉備真備が創建者だということですが、備後の素盞嗚神社から勧請したという話もあるようで、なかなか謎につつまれていますね~。

これが備後の素盞嗚神社(広島県福山市)です。茅の輪くぐり発祥の地ということです。スサノオ系では日本で唯一本地堂(本地仏を祭るやつです)が残っています。む~パパ、単に備後一ノ宮ということで何の予備知識もなく行ってみたのですが、ここと廣峯神社の関係は当時全く知りませんでした。

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廣峯神社と牛頭天王” への2件のコメント

  1. やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
    古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
    根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
    これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
    たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。

    • 聖地巡礼さま コメントありがとうございます。
      神話については絵空事説から、何らかの歴史的事実を権力者の都合の良いように描いたなど諸説ありますが、私個人は書かれた年代から見て当時残されていた記録や口述などから、現代よりはっきりと過去のことは分かっていたという説を支持しています。個人的には宮崎県高千穂にも訪れましたし、観光を通じて神話の聖地を実際に訪れる活動は継続しています。高千穂の天岩戸神社で宮司さんからお話を伺ったとき、岩戸の中からは古代の石器等が多く発見されており昔から人の生活があったとか、神話と古代史、信仰、現実の遺跡の関係を当時学生だった私たちにご説明いただき感銘を受けたことを、ふと思い出しました。確かにもう少し島根県は観光してみたいと思いますね。出雲大社だけは何度も行ったのですが・・・。

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