楽しいむ〜さん一家

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!⑤

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1986(昭和61)年から1995(平成7)年まで数次に渡って製造された山陽5000系。今回はあまり人の目に触れることのない妻面の小変化にこだわって観察してみました。

こちらは1986(昭和61)年製造、最初に登場した5600号の連結面側。こちらから見ると車体断面以外は3050形アルミカーと同じ外観で、ステンレス製の雨どいが妻面に別パーツとして取り付けられています。1次車である5000~5013・5600~5606および2次車と言える5500・5501が該当します。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
5000号および5002号を3連→4連とするため1988(昭和63)年に製造された5500・5501は、2次車に分類されますが、外観は1次車と同じで妻面雨どいは車体とは別パーツです。2.1次車と呼んでも良いでしょう。写真は5500号です。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1988(昭和63)年末から登場した5014~5019・5607~5609はファンの間では2次車に分類されますが、5500・5501とは異なり、妻面の雨どいがアルミ製で車体と一体化されました。2.2次車と呼んでも良いかも知れません。写真は5609号。
(2004.5.5 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
この2.2次車には5004・5006号に組み込まれた5502・5503が含まれます。5500・5501とは妻面雨どいの形状が異なります。写真は残念ながら阪神尼崎車庫で事故に遭い廃車となった5503号。
(2018.5.18 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1990(平成2)年より登場した3次車は5020~5023・5504・5505・5610・5611が該当し、当初は4両編成でしたが、同年末5200~5205・5506~5509が増備され、5008・5010・5012号が3→4連に、5018・5020・5022号が6連になりました。このタイプから妻面の上部にあった足掛けが廃止されています。屋根上を歩く際、隣の車両に移るためのものと思われますが、さすがにこの時代になると、そうした作業は危険とみなされていたのでしょう。写真は5507号。
(2004.4.12 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
再掲となりますが5011号の姫路寄り妻面。1次車はパンタグラフの空気作用管が雨樋の上を通っています。
(2007.6.13 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
こちらは2次車の5019号。空気作用管が雨樋の内側に移ったため、妻窓上部で少し車体から浮かせるよう斜めに曲げてあり、苦心の跡がうかがえます。
(2004.5.15 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
3次車5021号。3次車以降は設計変更され、あっさり屋根側と最短でつないであります。2次車で製作に苦心したので簡単に作業できるようにしたものと思われます。
(2004.7.10 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)

5000系は、細部を見ていくとマニアックで面白い車両です。次は何にコダワリましょうか。

【2015年】3000号前面帯復元工事

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今日は廃線跡を歩くシリーズを少しだけお休みして、3000号前面帯復元工事の写真を公開します。

今は思い出となった3000号。非冷房時代、側面のうろこ模様を消された際、前面帯がニューアルミカーと同じ太い幅のものに変更されました。車番も帯の上に変更されています。
(2015.10.18 霞ヶ丘~舞子公園)

2015年の鉄道フェスティバルに合わせ、3000号の前面帯を登場時の太さに戻す工事が行われました。

作業は東二見車両工場の一角で行われました。シール式の帯をはがすだけでは跡が残ってしまうので、全体を磨く作業が行われています。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
シールをはがすと、元の帯跡がはっきりと残っていました。職人さんが丁寧に磨き上げていきます。アルミ地肌の銀色が輝きます。話に聞いたところでは鉄道関係ではなく、川崎重工の船の職人さんが来られて作業されたそうです。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
貫通扉の左側。上の穴8つが太い帯になった後の車番位置、下の穴8つが元の車番位置。登場時は方向幕が無く貫通扉に車番が付いていました。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
復元工事が完成した3000号。かつての姿がよみがえった瞬間です。(2015.10.23 写真提供:山陽電気鉄道)
3000号は完成していましたが、姫路側3600号はまだ未完成。この姿で鉄道フェスティバルの展示となりました。(2015.10.23 写真提供:山陽電気鉄道)

つい最近と思っていた3000号の復元も、今から思えば7年前のこと。こうした記録も大切にしたいものですね。

3058号の前面帯位置を検証する。

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昨年6月に「きちんと撮っておきます」とお約束してそのまま1年。3058号の前面帯位置が変わった写真をようやくご用意できましたのでお届けしましょう。もはや何の話か分からなくなってしまったと思いますので、前回記事をまずお読みいただいてから・・・。

「帯の位置が変わった!3058号」

というわけで、とりあえず3058号の何が変だったのかを。
まずは正常位置に付いている3060編成3635号(左)と3058編成3634号(右)。3634号の帯が少し下に付いているため、マニア的には「少し間の抜けた表情」をしていました。
(2017.11.18 西二見駅)

ここまではお分かりいただいたとして・・・。

同じ3058号の写真で変化を見てみましょう。左が変更前(2016.5.28)、右が変更後すなわち現在(2019.5.19)。車番の取付位置は同じですので、車番と帯の間隔が変更後は狭くなっているのがお分かりいただけますでしょうか。

はい、これが現在の姿。引き締まった表情が戻りました。(2019.4.6 霞ヶ丘駅~舞子公園駅間)

ここで秘蔵の写真を・・・。

リフレッシュ工事を終え、東二見車両工場に運び込まれた直後の3058号。140KVAの真新しいSIVが床下で光っています。この時から間の抜けたお顔になりました。撮影は2008年3月とありますので、10年の時を経て前面帯が元の位置に戻って来たことになります。(2008.3.7 写真提供:山陽電気鉄道)

にしても、何かの機会に元の場所に戻そうとされていたのでしょうが、よく10年間も覚えておられたものです。山陽電車はそういった車両工場の皆さんの愛情にも支えられています。

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