楽しいむ〜さん一家

【西新町】船上城跡と吟海堂

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船上城(ふなげじょう)は現在の明石城が建築させる前、別所氏によって建てられた城を廃城後に高山右近が改築したとも、別の場所に新築したともいわれる戦国時代の城で、現在は遺構のみが残っています。城跡と城下町については以前の山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史さんぽ」”知られざる「明石城」を求めて”で詳しく述べられていますので、興味のある方はこちらを読んでいただくとして、む~パパ、実は初めて船上城跡に行ってみました。

城跡北側に隣接する船上西公園に、最近作られたと思しき案内看板が建っています。「古城川」なる、そのまんまの名前の川が現在も流れていますが、これは堀ですね。用水路にしか見えない外観ではありますが。

本丸跡を東側から。手前と右に見えるコンクリートの壁が古城川の堤防です。本丸跡は田んぼになっており中央に見える木立や祠のある台地部分がわずかに遺跡であることを物語ります。
同じく西側から。木立の向こう側のレンガ色の建物は明石警察署。台地部分にはあぜ道からアプローチするしかなく、当然私有地ですので所有者の許可なく立ち入ることは出来ません。近隣は現在進行形で宅地化されており、実際に子供の遊び場としての立ち入りを禁じる看板が立っていました。残念ながらここから撮影するのが限界のようです。
ちなみに明石城正面向かって右側の巽櫓(たつみやぐら)は、船上城から移築されたものと考えられています。

さて、話は変わって船上城跡へ入る県道718号(通称浜国道)沿いに新しそうなお店がありました。「吟海堂」といい、カステラとプリン、2Fはカフェになっているようです。ちょっと立ち寄ってみました。

完全に「一見さん」なので詳しくはお店のサイトを見ていただくしかないのですが、他のお客さまも次々お買い求めだったのが、この「大吟焼」。材料にこだわったカステラです。
包みを開くと「ホワッ」と濃厚な香りが漂います。美味しゅうございました。
「特上プリン」。味は3種ありましたが、初めてなのでプレーンなものを。こちらも濃厚で美味しゅうございました。

「西新町」の名からは明石築城後、明石川より西に新たに開けた町というイメージがありますが、船上城廃城後も城下町は残り、江戸時代を通じて機能していたようですね。

【検証】兵庫電気軌道は明石のどこを走っていた?

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前回、山陽電車の前身の一つである兵庫電気軌道(兵電)の明石駅がどこにあったか探り当てました。しかし謎は続きます。電車の通っていたカーブはなぜ街中に作れたのか?そもそもクランクの多い街路にどうやって線路を通したのか?少し考えてみました。

復習となりますが、1923年の地図。明石周辺の5駅の位置関係です。国鉄明石駅は現在のJR明石駅。神姫明石駅は高架になる前の山陽明石駅(電鉄明石駅)です。(出典:埼玉大学/今昔マップ)
というわけで、もっと昔へ飛んでみます。国立公文書館サイトで見ることが出来る「播磨国明石城絵図(重要文化財)」。1644年といいますから江戸時代。380年くらい前ですが、現在と大きく変わっているわけではありません。現在の国道2号線の無かった1923年の地図と比較すると、結構そのまんまだということが分かります。

浜国道の一部がクランクとなっていますが、1923年の地図でもまだそのまま。のち拡幅によって現在の形になったと考えられます。大明石町1丁目交差点からSカーブを描いている南北道。間にお城の堀があったため元々1本の道路ではなかったもので、兵庫電気軌道のカーブがあったからというわけでもなさそうです。

大明石1丁目交差点から国道2号線東方向。江戸時代の明石では外堀が巡らされ、その堀を埋め立てて線路が敷かれていました。併用軌道だったのかも知れません。さらに線路の移設後は国道2号線として整備されました。現在から見ると想像もつきません。

現在の明石駅前交差点。南西角すなわちこの写真を撮影した場所に兵電明石駅前駅があったと考えられます。
ここで現在の地図(出典:国土地理院)に1644年時点で存在していた道を赤色で、堀を青色で描いてみました。何となく見えてくるものがありますね。

遊園地前駅、人丸前駅はどこにあったのでしょう。ここから東へ歩いてみました。

【寄り道】明石公園でお花見をしました。

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む~パパ、本当のところは山陽電車の前身である「兵庫電気軌道」の旧線跡をたどっていまして、旧明石駅なんぞを探そうと山陽明石駅に降り立ったのですが、天気も良いし「ついでに」花見もしようと明石公園にやって来ました。

お城のある町は間違いなく品格があります。明石や姫路の町は城下町の風情を今に伝えています。おかげで旧線跡探索が出来るわけですが・・・。
明石公園=明石城なのですが、現在も当時の櫓(やぐら)が2基残されており重要文化財に指定されています。こちらは南西側にある坤(ひつじさる)櫓。伏見城から移築されたものと伝わります。
もう1基が巽(たつみ)櫓。現在の明石警察署裏にあった船上城から移築されたと伝わります。元々は乾櫓、艮(うしとら)櫓と合わせ、4基ありました。坤櫓に隣接して天守台がありますが、結局天守閣は築かれませんでした。
2つの櫓はあえて向きを変えて設置され非対称になっており、このことが一種の音楽的なリズムを感じさせます。
桜の下には雪柳が咲き誇っていました。
城郭部の北に広がる「剛の池」。取材に訪れた4月2日、見た感じは5分咲きという状態でしたが、近くに寄ると下の方は満開で本当に見事なものでした。
今週はまさに見頃。次の土日まで楽しめるでしょうか・・・?
動物たちも春を楽しんでいます。公園はサギの巣がたくさん・・・。
高い建物が無かったその昔。ここに立つと明石海峡を一望できたはず。国防上重要拠点だったことがよく分かります。折しも山陽電車の6000系が姫路に向かって出発していきました。
この日はキッチンカーが多数出店していました。その中に懐かしいウォークスルーバン(トヨタ・クイックデリバリー)が。かつて「宅急便」用として全国を走った初代型。今となってはかなり珍しいと思われます。

と言うわけで、次回は本題である「明石旧駅跡を探す」をお送りしましょう。