む~パパ。なんとなく3階の書店で探し物をしていたのですが、ふと表に汽車が走っているのを見つけました。子供を乗せて店内を周回しています。早速追いかけていきました。
それもそのはず。ここアリオ加古川ほか周辺は元々多木化学の土地です。別府鉄道は多木化学が生産する肥料を輸送する同社系の鉄道で、同じ社章でした。同社HPによると「太古創農の時代に田畑を耕すために使用されたスキを図案化したもの」だそうです。
む~パパ、実は汽車が走っている姿を撮影しようと2度目の取材を敢行したのですが、どうも乗客がいないと運行しないらしく、結局1時間近く待っていたのですがとうとう汽車が動くことはありませんでした。切符を買うと走るのでしょうが撮れないし・・・。
というわけで、今回は走っている姿を「見た」んだけれども撮れなかったということで。残念でした。
別府鉄道が「べふ鉄道」として復活してうれしいデス!運転本数も増えていますネ♪
別府鉄道のルーツを初めて知りました。多木化学のマーク、広告の看板などで見たことがあります。別府鉄道の最後の運転、サンテレビのニュースで見ました。本数を増発して、運転手の方々が時間調整や相談しているシーンがありました。
「べふ鉄道」末永く走ってほしいデス!!
大石六甲さま コメントありがとうございます。
別府鉄道や高砂線が現在に残っていれば、完全に住宅地化した周辺の地域で通勤・通学の足として便利だったかも知れませんね。ただ、当時は貨物輸送なくして鉄道が成り立たない状態だったはずなので、貨物の輸送形態変化により多くの地方鉄道が廃線となっています。