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【検証】兵庫電気軌道は明石のどこを走っていた?

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前回、山陽電車の前身の一つである兵庫電気軌道(兵電)の明石駅がどこにあったか探り当てました。しかし謎は続きます。電車の通っていたカーブはなぜ街中に作れたのか?そもそもクランクの多い街路にどうやって線路を通したのか?少し考えてみました。

復習となりますが、1923年の地図。明石周辺の5駅の位置関係です。国鉄明石駅は現在のJR明石駅。神姫明石駅は高架になる前の山陽明石駅(電鉄明石駅)です。(出典:埼玉大学/今昔マップ)
というわけで、もっと昔へ飛んでみます。国立公文書館サイトで見ることが出来る「播磨国明石城絵図(重要文化財)」。1644年といいますから江戸時代。380年くらい前ですが、現在と大きく変わっているわけではありません。現在の国道2号線の無かった1923年の地図と比較すると、結構そのまんまだということが分かります。

浜国道の一部がクランクとなっていますが、1923年の地図でもまだそのまま。のち拡幅によって現在の形になったと考えられます。大明石町1丁目交差点からSカーブを描いている南北道。間にお城の堀があったため元々1本の道路ではなかったもので、兵庫電気軌道のカーブがあったからというわけでもなさそうです。

大明石1丁目交差点から国道2号線東方向。江戸時代の明石では外堀が巡らされ、その堀を埋め立てて線路が敷かれていました。併用軌道だったのかも知れません。さらに線路の移設後は国道2号線として整備されました。現在から見ると想像もつきません。

現在の明石駅前交差点。南西角すなわちこの写真を撮影した場所に兵電明石駅前駅があったと考えられます。
ここで現在の地図(出典:国土地理院)に1644年時点で存在していた道を赤色で、堀を青色で描いてみました。何となく見えてくるものがありますね。

遊園地前駅、人丸前駅はどこにあったのでしょう。ここから東へ歩いてみました。

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