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人丸前~大蔵谷界隈を歩く

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今日は大蔵谷の宿場町をご紹介します。「せっつ・はりま歴史さんぽ」みたいじゃないか!マニアネタ、酒はどうした?と聞かれそうですが、いやまあ飲んでばかりもいられませんので、しばし街歩きネタでお付き合い願います。

さてさて。人丸前駅を降りて南下すると「大蔵交番」という交番があります。

手前が大蔵交番。天文科学館をイメージした形をしていますが、この角度から撮ると後ろにある明石人丸教会の建物が目立ってしまって影が薄い・・・。でもこの写真、奥にひっそりと天文科学館も写っていますよ。大蔵交番の右に小さく写っている細長いものは石碑です。近寄ってみましょう。

碑文に「大日本中央標準時子午線通過之識標」とあり案内文も掲出されています。要するに明治21年に明石を通る東経135度の子午線が日本標準時に定められたにもかかわらず、一般の人々の認知が今ひとつ、ということで明石郡の先生方がお金を出し合って建てた碑、だそうです。なるほど~。

本当は山陽道の街道筋を東へ向かうべきなのですが、街道の入口が狭くなっていて見つけられず、そもそも大蔵交番の手前なのですが行き過ぎ、探しているうちに中崎公会堂まで来てしまいました。

・中崎公会堂 明治44年建築以来、現在も公会堂の機能を果たしています。せっかく来たので撮影・・・。

いや、こちらは寄り道でして。

いや、この写真も寄り道の1枚。壁は銅板葺きのようです。銅器で有名な高岡(富山県)ではよく見る感じだと思いますが、明石ではどうなのでしょう。

本来の街道筋を発見したので、ようやく東へ。

稲爪神社から旧山陽道方向。ここも落ち着いた昔ながらの街並みが広がっています。稲爪は「いなづめ」ですが、「いなづま(稲妻)」がなまったものでしょう。


さて、現在は国道2号の南側になりひっそりとした旧山陽道街道筋ですが、ご覧のように宿場町の面影を残す建築物がぽつぽつ残っています。建て替えられたりマンションになったり取り壊されて駐車場になったり、街並みとして残っているわけではありませんが、む~パパ、実はこういった残り方が自然で心地よいと思ったり。いつかは消えていくものなのでしょうが・・・。


そうした1軒の「卯建(うだつ)」に本当に「卯」の装飾がありました。ウサギが立っているから「うだつ」なのでしょうか。何やら縁起の良い飾りのように思います。今年が卯年であればタイムリーなんですが、そうは問屋が卸さない、と。

A:人丸前駅
B:大蔵交番
C:中崎公会堂
D:稲爪神社
E:卯のうだつがある建物


大きな地図で見る

人丸前に降りたら天文科学館。駅の南側もちょっと歩いてみませんか?
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人丸前~大蔵谷界隈を歩く” への1件のコメント

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