こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の曽根崎を歩いてみたいと思います。
年末が近づき、梅田の街は賑わっていました。
繁華街の中に石碑がありました。こちらは太融寺です。繁華街が広がるこの一帯ですが、寺社も数多くあります。
南側へ回ると、門が建っていて奥には本堂がそびえています。
太融寺の歴史は古く、平安時代の弘仁12(821)年に遡ると言われています。創建は弘法大師空海と言われていて、空海がこの地にあった森に霊木を見つけ、その木を使って地蔵菩薩と毘沙門天を彫り、それを祀る草庵を編んだのが始まりと言われています。翌年、この地を訪れた嵯峨天皇から下賜された千手観音像を本尊として正式に寺院の姿として整えられていきました。
太融寺の周辺は歓楽街としても知られていますが、寺の境内は別世界のように静かでした。梅田に位置する歴史ある寺院ということで観光客の姿も少なくありません。
正式に寺院となった太融寺ですが、承和10(843)年には嵯峨天皇の皇子の左大臣源融によって境内が広げられて七堂伽藍と呼ばれる堂宇も建立されて大寺院として発展していきます。現在の太融寺という寺号になったのもこのときで、源融に因んでいます。
慶長20(1615)年の大坂夏の陣、昭和20(1945)年の大阪大空襲の二度、堂宇は焼失してしまい、現在の建物は戦後に再建されたもので創建当時の建物は残されていませんが、庭園の広がる境内には当時の面影を感じるようです。
これから年末年始にかけて梅田は賑わう季節です。繁華街の中にこの街が積み重ねてきた歴史を訪ねてみてはいかがでしょうか。