せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

加古川の副都心へ・別府を歩いて(前編)

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例年になく暑さが残りますが、少しずつ木々も色づいて季節の移り変わりを感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

別府駅

山陽電車で着いたのは別府駅です。

ホーム延伸工事中

別府駅は2025年以降に特急停車駅となる予定で、高架上にある駅ではホームの延伸工事が進められていました。

別府といえば温泉地である大分県の地名を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ただし、ここ加古川の別府の読み方は「べふ」です。平安時代から鎌倉時代にかけて、開墾地など特定の土地に特例的に支配や徴税を認めるために国府などから徴税に関して別納の免符を交付された地域があり、別納免符を略して「別符」といっていました。この地は阿閇の村が別納免符を交付されていた開拓であったことから「別符」、そして、「別府」と呼ばれるようになったそうです。ちなみに、大分県の温泉地の別府市も、その他の地域にある「別府(べっぷ・べふ・びゅう)」も多くは同様の由来です。

別府駅前の街並み

現在は普通車とS特急が停まるのみの別府駅ですが、駅前には大きな商業施設があり、飲食店なども建ち並んでいてとても賑やかな雰囲気です。

そんな歴史からわかるように、別府は農村と播磨灘に面した港町でしたが、近代に入り、別府出身の多木久米次郎が今の多木化学となる多木製肥所を創業し、ここ別府で人工肥料の生産を開始しました。さらに、戦後には神戸製鋼所加古川製鉄所が操業を開始し、一帯は一大工業地域となりました。そして、工業地域に隣接した別府は人口が急激に増加しました。多木化学の工場は後に移転し、現在は商業施設となっていますが、こちらの商業施設も周辺の買い物需要を取り込み、別府はさらに発展することとなりました。

別府鉄道跡

別府駅の山側に向かって歩くと、道路に斜めに交差する遊歩道がありました。こちらはかつてこの地を走っていた別府鉄道の廃線跡です。多木化学の工場で生産された肥料を運搬する目的で国鉄高砂線の野口・山陽本線の土山のそれぞれから別府へと敷設された鉄道で、旅客輸送もおこなっていました。鉄道があった当時の別府はまだのどかな雰囲気が残っていたようですが、現在は住宅や商店が建ち並ぶ市街地となっています。主力の貨物の取り扱い終了で別府鉄道も廃線となりましたが、今も残っていれば、通勤輸送で賑わっていたのかもしれませんね。

大きく変化しつつある別府をもう少し歩いてみたいと思います。

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