こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、武庫川沿いを歩いてみたいと思います。
現在は「琴浦通り」と呼ばれている通りはかつては国道で、西宮で西国街道ともつながっていたことから「中国街道」と呼ばれていました。今では住宅街の道路ですが、松並木や漆喰の塀を模した塀が設けられていて、街道として賑わっていた当時の風情を今に伝えているようです。
琴浦通りを西へ向かうと、武庫川に差し掛かりました。青空の下に穏やかに流れる川面が広がっています。今渡っている武庫川橋の下流に架かるのは阪神電車の武庫川橋梁で、橋の上には武庫川駅のホームが見えます。
武庫川を渡り、西宮市に入ったところには神社がありました。こちらは岡太神社です。
岡太神社の境内は木々に囲まれていました。社殿は阪神淡路大震災で倒壊したのを再建したもので、真新しいコンクリート造りです。
岡太神社はここ鳴尾地域で最も古い神社とされています。社伝では、平安時代にこの場所から北西の廣田の人々が新田を開発して、延喜元(901)年に廣田明神を祀る神社を創建したのが始まりとされています。境内で目立つのが狛犬の代わりに鎮座するイノシシ像です。現在西宮神社に祀られている戎神は元々鳴尾で祀られていて、毎年正月九日にはここ岡太神社で恵比寿大神が災害を防ぎ五穀豊穣を祈る静止(しし)打神事が執り行われていて、神事の妨げにならないように村の人々は斎籠(いごもり)をしていました。この神事の静止と猪をかけて、イノシシが神社の使いとなったそうです。イノシシ像はそれに因んで昭和60(1985)年に建立されたものです。
境内には供養塔がありました。こちらは平清盛の嫡男である平重盛の供養塔と伝わっています。平安時代、この辺りは平氏の所領で、重盛が「小松内府」と呼ばれていたことから「小松庄」と呼ばれていました。かつてこの神社の近くにあった「伏松」という丘には「小松城」とも呼ばれる重盛の居館があったと伝わっています。
境内には古い石碑が夏の日差しを浴びて佇んでいました。
今は住宅地の広がる尼崎や西宮の武庫川沿いですが、古くからの伝説に彩られた史跡が街の中に佇んでいることに驚かされるようです。台風の季節ですが、嵐が去れば気候の良い季節が訪れるはず。少し足を延ばして歩いてみてはいかがでしょうか。