せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石上ノ丸・宮本武蔵の庭園を訪ねて(前編)

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お盆の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽明石駅

今回訪ねたのは山陽明石駅です。

明石公園

山陽明石駅の浜側は賑やかな明石の街が広がっていますが、山側に出てみると、木々の生い茂る明石公園が広がっていて、対照的に静かな雰囲気です。

明石城

明石公園の中にそびえるのは明石城です。明石城は江戸時代の元和4(1618)年に信州松本藩から明石へ転封となった小笠原忠政によって築かれた城で、六甲山地から緩やかに続く丘陵の端に築かれた平山城です。天守は設けられませんでしたが、櫓が設けられていて、今も二つが残されています。

武蔵の庭園

明石公園の中に茶室のような建物がありました。こちらは武蔵の庭園と呼ばれている庭です。

剣豪として知られる宮本武蔵の生い立ちは分かっていないことが多いのですが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで黒田官兵衛に従い、大坂の陣では徳川方として戦ったといわれています。江戸時代には小笠原忠政に長く仕えたそうです。ここ明石でも剣豪として試合をしたこともあったようですが、武蔵が主に任されたのは町割り、つまり、都市計画でした。当時の都市計画は城郭の計画と一体となったもので、いわば軍事戦略だったため、兵法に精通した武蔵が起用されたのでしょうか。そして、町割りと並んで武蔵が才能を発揮したのが作庭でした。

武蔵の庭園を眺めて

池の向こうに明石城の櫓がそびえる武蔵の庭園を眺めてみました。本来、武蔵が明石城に作った庭園の「樹木屋敷」は城の西側、現在はきしろスタジアムになっている位置にあったそうで、こちらの庭は平成16(2004)年に復元されたものです。

剣豪の足跡を感じる明石の町をもう少し歩いてみたいと思います。

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