梅雨明け間近な頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
山陽姫路駅前からバスに乗って着いたのは県立大工学部バス停です。停留所の名前の通り、目の前には兵庫県立大学のキャンパスが広がっていました。
バス停のすぐ西側には切通しのような坂道があります。こちらは床坂と呼ばれていて、夢前川沿いの平野と菅生川沿いの谷間の間の峠道です。
坂の入り口には小さなお堂がありました。道路は拡幅され、車やバスではあっという間に通り過ぎてしまいますが、どこかかつての峠道を感じる雰囲気があります。
床坂は姫路から北西方面への古くからの道で、現在も宍粟市や姫路市安富町へのバスの経路となっています。伝説では今の安富町に住んでいた「伊佐々王」と呼ばれる大鹿の休憩所だったそうです。この床坂の東側、ちょうど書写山の南麓にあたる地域は曽左(書写)と呼ばれ、古くから書写山と繋がりのある地域でした。ここまでのバスが通り過ぎた停留所には「西坂」「東坂」という言葉があり、書写山への登り口だったことが地名からもわかります。
床坂から住宅地の中を歩いていくと、桜池という小さなため池がありました。
池の傍にも住宅地や水田が広がっています。中世にはこの場所に「坂本城」という城がありました。築城時期は詳しくわかっていないそうですが、発掘調査によって室町時代の14世紀から16世紀にかけてこの場所にあり、赤松氏の手によるものだったそうです。交通の要所に位置したこの城は赤松氏、そして、赤松氏が滅亡した後は山名氏の重要な拠点でした。現在は殆ど面影はありませんが、水田の中に土塁が残されています。
書写山の麓の曽左地区をもう少し歩いてみたいと思います。