せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

行基の開いた寺と池・昆陽の里を訪ねて(前編)

投稿日:


早くも夏のような暑さのこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

昆陽ノ里

阪急電車西宮北口駅から乗った阪急バスは住宅地の続く街並みを走り、武庫川を渡って伊丹市へ入りました。バスが着いたのは昆陽ノ里バス停です。

昆陽寺の山門

バス停のすぐ近くにあったのは立派な朱塗りの山門です。こちらは昆陽寺の山門です。

昆陽寺の山門と石畳の道

山門の前を通るのは国道171号線です。交通量の多い国道からは細い石畳の昔ながらの道が分かれていて新旧のコントラストを描いているようでした。

昆陽寺の境内

山門をくぐって新緑が眩しい境内に入ると、国道の騒音が急に遠ざかったようで静かな雰囲気に包まれるようでした。

昆陽寺は奈良時代の天平3(731)年に僧行基が建立したとされています。街道に面した交通の要衝だったこの地に行基が貧民の救済を目的に建立した「昆陽布施屋」が今の昆陽寺の始まりとされています。ただ、創建時の寺は現在地から少し北西の場所や山本(現在の宝塚市)などの諸説があるようで、詳しいことはわかっていないようです。聖武天皇の勅願寺となったこともあり、寺院として栄えていきますが、安土桃山時代の天正7(1579)年に現在のJR伊丹駅近くの有岡城に立てこもった荒木村重織田信長が戦った有岡城の戦いの際の兵火で焼失してしまいました。現在の建物の多くは江戸時代に再建されたものです。

昆陽寺の本堂

境内に佇む本堂は有岡城の戦いで焼失したのちに再建されましたが、平成7(1995)年の阪神淡路大震災で倒壊し、平成9(1997)年に再建されたものです。

行基堂

本堂の奥に佇んでいたのが行基菩薩をまつる行基堂です。こちらも江戸時代に再建され、震災でも被災しましたが解体修理を経て当時の建物が現存しています。

武庫川と猪名川に挟まれたこの地域は伊丹台地と呼ばれる台地状の地形になっていて、古くから水の確保が難しい土地でした。農地としての利用が難しいこの土地で行基は貧民救済だけでなく、土地の開墾も進めていました。

次回、行基の足跡を辿りながらもう少し昆陽の里を歩いてみたいと思います。