せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

磐座の見守る里・高岳を訪ねて(前編)

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大型連休も後半に差し掛かった頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

播磨高岡駅

姫路駅からJR姫新線のディーゼルカーで着いたのは姫路駅の一駅隣の播磨高岡駅です。

西国街道

駅の傍を通るのは国道2号線で、そのすぐ北側を旧西国街道が通っています。交通量の多い国道に対して、旧街道は静かな雰囲気で、曲がった昔の道沿いには趣のある家々が建ち並んでいます。

街道沿いのこの辺りは今は姫路市に含まれていますが、古くは高岡村と呼ばれ、さらにその前は今宿村と呼ばれていました。今では姫路の郊外の住宅地が広がっていますが、かつては西国街道沿いに農村集落が広がる地域だったそうです。

高岳神社道標

旧街道沿いにお地蔵さんがあり、その隣には大きな石碑がありました。「式内 高岳神社」と刻まれていることからわかるように、こちらはここから北西にある高岳神社の道標です。高岳神社はこの地域のシンボルの蛤山の傍にある神社です。今回はこのまま高岳神社へと歩いてみたいと思います。

東今宿薬師堂

住宅地を歩いていると、お堂がありました。こちらは薬師堂です。

薬師堂の力石

お堂の裏手には力石が並んでいました。かつてはこの石で力比べをしていたのでしょうか。

昌楽寺

薬師堂から奥に入ると、木々に囲まれた昌楽寺が佇んでいました。今では静かな寺院ですが、平安時代半ばの長保年間の建立と伝わる古刹です。やはり平安時代半ばに花山天皇が書写山への御幸の際に立ち寄ったとされていて、先ほど訪ねた薬師堂には御幸の碑が建てられています。農村集落だった今宿ですが、すぐ北側を書写山園教寺への参詣路の書写街道が通っていて、書写山の影響を受けながら発展した地域でもありました。

静かな住宅地にはるか古代からの歴史が息づく高丘・今宿をもう少し歩いてみたいと思います。