せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古代寺院と伝説の地・安室辻井を歩いて(前編)

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早くも桜の便りも聞こえるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

辻井南停留所

山陽姫路駅の駅前から乗ったバスが着いたのは書写街道のバイパスにある辻井南バス停です。

辻井廃寺僧房跡の碑

バス停の近くに「辻井廃寺僧房跡」と刻まれた石碑が佇んでいました。

辻井廃寺とは白鳳時代にこの地に存在した古代寺院の遺構です。古くから調査が行われていましたが、本格的な調査が始まったのは昭和57(1982)にバスや乗用車の行きかうこのバイパスの工事がきっかけでした。調査の結果、辻井遺跡と呼ばれる住居跡等の遺跡からは旧石器時代の石器から縄文時代の土器、弥生時代の住居跡が発見されました。併せて、この辺り一帯に広がっていた辻井廃寺の痕跡も見つかっています。

塔心礎

バイパス沿いの真新しい住宅地の中には大きな石が佇んでいました。こちらは塔心礎で、辻井廃寺の仏塔の礎石です。この仏塔の南側からは南門、北側からは講堂の痕跡が見つかっているそうで、一帯に大寺院が広がっていたことがわかります。

辻井廃寺井戸跡

バイパス戻って北西へ歩いていると、「辻井廃寺井戸跡」と刻まれた石碑がありました。辻井廃寺は東西150~200m、南北200mに渡る法隆寺式伽藍の寺院だったそうです。この井戸跡だけでも塔心礎や僧房跡からそれなりに距離があることからもかつての寺院の規模をうかがい知ることができます。

書写街道バイパス

かつての古代寺院の痕跡は多くが道路や住宅地となり、痕跡らしいものは先ほどの塔心礎のみです。しかし、このたくさんの車の行きかうバイパスの下には古代の寺院の遺跡や住居跡が眠っています。そんなことを考えるだけで、ごく普通の郊外の景色が違ったように見えてきますね。

次回、もう少し安室辻井地区を歩いたいと思います。

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