山々が鮮やかに色づいたころ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
曇り空の下に佇む姫路城。
感染症の影響が緩やかになり、行楽シーズンを迎えたこともあって随分と賑わっています。
姫路城の南側、かつての中堀を埋め立てた国道2号線(西行)まで下ってみました。国道沿いには土手が続いていて、交差点部分には巨大な石を組み合わせた石垣が佇んでいました。ここは鵰門(くまたかもん)の跡です。
鵰門の中では道路がクランク状に曲がっていました。
安土桃山時代の末から江戸時代の初めにかけて行われた池田輝政による姫路城の改修は姫山とその周辺に大城郭を築くものでした。この中堀周辺では八町ごとに門が設けられ、ここ鵰門はかつての大手筋だった中ノ門筋の西隣の重要な門でした。今では門の建物は失われていますが、かつての鵰門は国道に面した外門と内側の内門の二重構造になっていました。内門は櫓を備えた櫓門となっていて、クランク状の道路になっている桝形を見下ろすような配置になっていたようです。攻め込んできた軍勢は桝形の中で櫓からの集中攻撃を受けることになったのでしょう。
鵰門を通り抜けると、姫路城の中曲輪です。町人の居住地だった外曲輪に対し、中曲輪は武家屋敷が建ち並んでいました。近代以降は旧日本陸軍の用地となり、この辺りには歩兵第39連隊の本部が置かれました。
歩兵第39連隊が置かれていた当時、この辺りは軍関係の建物が建ち並んでいましたが、戦後、学校や駐車場、バスの営業所となり、軍用地だった面影はありません。時々回送のバスが通り過ぎる道路沿いには色づいた木々が立ち並んでいました。
次回も紅葉に染まる姫路城を訪ねて、歩いてみたいと思います。