せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

相生を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回と前回に続いて、相生市の相生地区を歩いてみたいと思います。

相生の町並み

相生天満神社を後にして、相生の街中を歩きます。
どこか瀬戸内の港町のような趣のある街並みが続いていました。

光明寺

街の中にひときわ目立つ大きな屋根が見えました。こちらは光明寺です。

光明寺の境内

山門をくぐった先の境内には浄土真宗の寺院らしく、巨大な本堂がそびえていました。

光明寺は明応5(1596)年に播磨海老名氏の二代目の海老名季重が開いた寺院で、海老名氏の菩提寺でした。創建当初は本堂前のイチョウの木の間に設けられた小さなお堂だったそうですが、明治時代、相生港に台風で流れ着いた木材を使って今の堂宇が建てられたそうです。ちなみに、相生の庄屋となった海老名氏はここ光明寺の北側、今の相生公民館の辺りに屋敷を構えていましたが、この屋敷は明治時代に焼失し、現存していません。

南町荒神社

相生の街を通り抜けて、南側の山に天満神社と向かい合うように佇む南町荒神社を訪ねてみました。

荒神社からの景色

荒神社からは瓦屋根の家々が建ち並ぶ相生地区を見下ろすことができました。近世を通して相生は赤穂藩領で、城下町ではありませんが、どこか漁村とは違った趣があるように感じますね。

相生湾沿いの巨大な造船所は重工業都市・相生の象徴のような景色ですが、瓦屋根の家々が山の合間に建ち並ぶ光景は「おお」と呼ばれた頃の相生を今に伝えているようです。これから相生では牡蠣のシーズンを迎えます。深く切れ込んだ相生湾の海の恵みを楽しみながら、相生の町並みを訪ねてみてはいかがでしょうか。

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