せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

相生を歩いて(前編)

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木々が色づき、暦の上では冬を迎えたころ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

相生駅

山陽姫路駅からJRに乗り換えて着いたのは相生駅。
新幹線の駅もあり、相生市の玄関となる駅です。

相生港バス停

相生駅からバスに乗って着いたのは相生港バス停です。
相生市の中心市街は深く切れ込んだ相生湾の最奥部から相生駅にかけて広がっていて、相生地区と呼ばれる相生湾内の入江の奥に広がるこの辺りは少しのどかな雰囲気です。

相生湾

バス停のすぐそばには相生湾が広がっていました。青々とした水面の向こう、湾の対岸には巨大な造船所がそびえています。

古くは蝦江と呼ばれた相生湾に面した相生市は播磨灘が深く切り込み、深く風の影響を受けにくい地形を生かして、古くから港町として栄えていました。湾の最奥部の那波は港町、ここ相生は漁業の町として、栄えていたそうです。そんな相生湾に難工事の末にドックが開設されたのは明治45(1912)年のことでした。

相生(おお)の石灯籠

バス停の近くには石灯籠が佇んでいました。相生(おお)の石灯籠と呼ばれるこちらは江戸時代の天保14(1843)年に相生港の波止(防波堤)に建立されたもので、夜間には灯りが灯されて灯台の役割を果たしていたそうです。古くからの港は平成11(1999)年の相生湾の改修で雰囲気が変わってしまいましたが、港を見守ってきた石灯籠は今も波止のあった場所に佇んでいます。

造船業の発展で重工業の街のイメージの強い相生ですが、ここ相生にはそれ以前の相生湾の風情が残されているようです。
次回、もう少し相生を歩いてみたいと思います。