せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

甲山を望む・西宮廣田山を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、西宮の廣田を歩いてみたいと思います。

廣田神社の境内

廣田山に佇む廣田神社の境内を歩きます。
西宮の神社といえば阪神西宮駅近くの西宮神社が思い浮かぶと思いますが、もともと西宮神社はこの廣田神社の摂社の戎社でした。「西宮」の地名の由来もここ廣田神社にちなんでいるとされています。

御手洗川

交通量の多い「みたらし通り」を渡ると、御手洗川がゆったりと流れていました。山手を望むと甲山がそびえています。

今は平野の広がる西宮ですが、古代には入江のような地形で、「武庫水門(むこのみなと)」と呼ばれていました。廣田神社は入江の最奥、六甲山麓から上ヶ原へと広がる台地に位置していて、航海の安全を祈願するために建立されたともされています。ちなみに、西宮神社のある場所は入江の入り口付近の岬のようになった土地だったようです。廣田神社とともに入江を囲むように見守っていたのでしょうね。

具足塚古墳

御手洗川の対岸にはこんもりとした森がありました。こちらは具足塚古墳という古墳です。木々に覆われた古墳は私有地にあるそうで中を見ることはできませんが、古墳時代後期の6世紀前半に築かれた円墳だそうです。古代には大阪湾の重要な港湾だった「武庫水門」を見下ろす位置にあるだけあり、有力者の墓ではないかと言われています。

新池

具足塚古墳の傍には農業用のため池の新池が広がっていました。
池の向こうには西宮の住宅地が広がり、この地域のシンボルの甲山がそびえています。

六甲山麓に住宅地が広がる西宮。
住宅地の中には長い歴史を持つ史跡が眠っていて、はるか古代へといざなってくれるようでした。

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