せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

八家・東山を歩いて(前編)

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8月も下旬となり、夏の終わりを感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

八家駅

山陽電車で着いたのは八家駅です。

駅前の道標

八家駅の駅前には石の道標が佇んでいました。今は静かな町の八家ですが、八家川を下った先の木場には浜街道が通り、姫路や沿岸の町を巡る道の交わる交通の要衝でした。

大年神社

八家駅の近くに佇むのは大年神社です。播磨平野によくある小高い丘の中腹に佇む神社で、創建時期など詳しいことはわかっていないようですが、広い境内を持つ様子を見ていると、歴史ある神社であることが感じられますね。八家駅の山側に広がるこの辺りの地区は東山と呼ばれています。

東山固寧倉

大年神社の裏手には固寧倉がありました。

固寧倉は酒井氏が姫路城主をつとめていた江戸時代後半に藩内各所に食料の備蓄のために設けられたものです。もともとは文化6(1809)年に飾西郡町村組大庄屋らが、勝手向(財政担当)を命じられていた河合寸翁に請願したのが始まりで、幕末までに姫路藩の各村に300ヶ所近くが設けられました。現存するのはわずか5ヶ所で、ここ東山の固寧倉はその一つです。

東山の町並み

固寧倉を過ぎてからも、静かな住宅地が広がっていますが、趣のある建物が町中に点在しています。

海と山に囲まれた八家・東山地区を次回も歩いてみたいと思います。

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