せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・中ノ門筋を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

前回に続いて、姫路城下を歩いてみたいと思います。

札ノ辻

西二階町から、かつての大手筋の中ノ門筋へ戻り、さらにお城を目指します。
西二階町を過ぎて次の交差点は札ノ辻と呼ばれ、その名の通り高札場がありました。こんな痕跡からも、中ノ門筋が姫路のメインストリートだったことをうかがわせますね。

国府寺家跡

札ノ辻から中ノ門筋を外れて、今度は大手前通りへ。
通りには国府寺家跡の看板が立てられていました。こちらの国府寺家も本陣を務めていて、中ノ門筋から現在の大手前通り辺りまで広がる広大な敷地を持っていたそうです。

中ノ門跡

大手前西交差点で国道2号線と交わりました。国道沿いの土塁のようなものは中堀の跡で、この辺りに中ノ門筋の名前の由来になった中ノ門がありました。この門を通り抜けると、中曲輪に入ります。

中ノ門筋と姫路城

中ノ門筋の向こうに姫路城天守閣が見えてきました。現在では大手前通りの景色が印象的ですが、本来の姫路城の大手の景色はこんな感じだったのかもしれませんね。

近世を通して、姫路のメインストリートはここ中ノ門筋でした。現在でも、姫路城の桜門橋と大手門へつながるのはこの中ノ門筋です。しかし、明治に入るとメインストリートは商店が建ち並ぶようになった御幸通りへ移ってしまいます。そして、昭和20(1945)年7月の姫路大空襲で城下町の街並みは失われてしまいました。戦後復興の中で姫路駅と姫路城を結ぶメインストリートの整備が計画され、戦後10年の昭和30(1955)年に完成します。これが現在の大手前通りで、それ以降、こちらが姫路のメインストリートになりました。現在では、駅から姫路城を目指して真っすぐ伸びる大通りは姫路を象徴するような景観となりましたね。

家老屋敷と姫路城

家老屋敷公園へ差し掛かり、道路としての中ノ門筋は姿を消しました。姫路城主酒井家の家老を代々務めた高須家の屋敷があった辺りは公園となり、和風の建物の土産物屋や飲食店が建ち並んでいます。その向こうにそびえるのは姫路城です。

姫路城を眺める

山陽姫路駅近くの飾磨門跡から真っすぐ伸びていた中ノ門筋ですが、内堀に架かる桜門橋大手門で城の防御のために鍵型に曲がります。大手門の向こうは内曲輪、門の向こうに高くそびえる天守閣を望むことができました。

城を望む姫路の町は姿を変えながら現在のような姿になっていきました。かつての大手筋の中ノ門筋を歩くと、どこか近世の姫路の町を感じることができるような気がして、大手前通りを歩くのとは違った良さを感じることができます。姫路城への道はいくつもありますが、城下町・姫路を感じる中ノ門筋を歩いてみてはいかがでしょうか。

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