せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・中ノ門筋を歩いて(前編)

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立秋を過ぎても暑さの続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

姫路城を眺めて

今回訪ねたのは姫路
真正面に「白鷺城」こと姫路城の天守閣がそびえています。

飾磨津門跡

姫路城を目指して、大手前通りを行きたくなるところですが、今回は大手前通りの西側、山陽百貨店の裏手から伸びる中ノ門筋を歩くことにします。山陽百貨店の裏手、山陽電車の高架沿いにあったのが飾磨津門跡でちょうどこの辺りが姫路城の外堀に当たります。外堀の内側が外曲輪でした。

中ノ門筋

山陽百貨店の裏手から中ノ門筋を歩きます。
今では人も車も少ない裏道のような雰囲気の細い道ですが、姫路城の本来の大手筋はこの中ノ門筋(中之門筋)でした。

池田輝政が今に残る姫路城を築城し城下町を整備したのは江戸時代に入ったばかりの慶長14(1609)年のことです。当時、現在の大手前通りのあたりは国府寺小路と呼ばれる細い道路に町屋が建ち並ぶ城下町の一角で、姫路城下を南北に貫くメインストリートは中ノ門筋でした。

西二階町

中ノ門筋をお城へ向かって歩くと、旧西国街道と交差します。街道沿いは「二階町」として商店街になっていて、特に大手前通りの西側は昭和59(1984)年から「西二階町」と呼ばれています。

脇本陣那波家跡

西二階町と中ノ門筋が交わる角のこの辺りは脇本陣那波家があった場所です。那波家は赤松氏の一族の宇野氏が出自とされています。もともとは相生の旧家でしたが、ここ西国街道の脇本陣を営むようになり、酒造や回漕業にも携わるようになった有力町人だったといわれています。中ノ門筋に面して西国街道に連なっていた脇本陣は広大な敷地をもっていたそうですが、現在は商店街に飲み込まれて痕跡はありません。

椀箱屋本陣三木家跡

大手の中ノ門筋を外れて、旧西国街道の西二階町を歩いてみました。
アーケード街のように見えてどこか風格を感じる商店街の中ほどにあったのが「椀箱屋」という屋号の本陣・三木家跡です。三木家は那波家と並び、名字帯刀を許された有力町人でした。余談ですが、本陣の跡地には「那波」という結納屋さんがあり、ちょっと混乱しそうになりますね。

近現代に大きく姿を変えた姫路の町ですが、都市の中にもかつての城下町の面影を感じることができます。
次回も姫路の町を歩いてみたいと思います。