せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・阿保を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の阿保を歩いてみたいと思います。

光徳寺

阿保神社の近くに立派な瓦屋根を見つけました。こちらは光徳寺です。創建は明応元(1492)年とされ、もとは英賀にありました。それが飾磨津、そして、姫路城下へと移り、昭和20(1945)年の姫路大空襲で焼失した際にここ阿保へ移転して再建されたとされています。

市川の渡し

東姫路駅の北側へと歩き、市川のほとりに出てみました。ちょうどこの辺りには渡し船の「市川の渡し」があったそうですが、夏草に覆われて痕跡は見当たりません。

「阿保」(英保)の名前は「播磨風土記」にも記されていて、もともとこの地域の住民は伊予国にあった英保という地域から移り住んだものとも言われています。市川沿いに開けた地域は古くから開発が進み、川の両岸に史跡が点在しています。

市川橋

現代では渡し船の代わりに、市川の上には市川橋が架かり、国道2号線が通る幹線道路となっています。

溺死者菩提碑

市川を渡った先は「東阿保」と呼ばれる地区です。市川沿いにそびえる丘は「城山」とも呼ばれていて、阿保構居に関係があるとされています。
山の中に佇んでいたのは「溺死者菩提碑」で、江戸時代の寛延2(1749)年に発生した洪水により姫路城下の船場川沿いで犠牲になった人たちの菩提を弔うために建てられたそうです。

市川を眺めて

東阿保から市川を眺めてみました。
下流に架かるJRの鉄橋を列車が渡っていく音が響きます。

新しい住宅地が広がる地域ながら、市川に育まれた歴史の眠る阿保地区
市川を渡る風に誘われて、歩いてみてはいかがでしょうか。

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