せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

市川のほとりの妻鹿を歩いて(前編)

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梅雨らしい蒸し暑い日が続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

妻鹿駅

山陽電車で着いたのは妻鹿駅です。

黒田官兵衛ゆかりの地

大河ドラマ「軍師官兵衛」で注目された妻鹿。駅には周辺の案内図が掲示されています。周辺には史跡が数多くあり、大河ドラマが終わってからずいぶん経ちつ今でも十分に散策を楽しむことができます。

甲山

駅のそばを流れる市川の堤防の上の道を歩くと、目の前にそびえるのは甲山です。平野の中にこんもりとした山が佇む姿はその名の通り兜のようにも見えますね。

荒神社

甲山の麓には神社があります。こちらは荒神社です。

妻鹿城址

荒神社の境内には「妻鹿城址」と記された石碑がありました。

ここ妻鹿の甲山に城が築かれたのは鎌倉時代の末の元弘3(1333)年頃とされています。鎌倉幕府が倒れることとなった元弘の乱で武功を挙げた妻鹿孫三郎長宗なる人物が妻鹿を治めるようになった際、甲山に山城を築いたのが始まりでした。播磨平野の小さな城だった妻鹿城が注目されるようになったのは戦国時代のこと。黒田官兵衛が姫路城主になった際に、父の黒田職隆が姫路城からここ妻鹿へ移ってからでした。

黒田職隆公廟所

妻鹿の住宅地の中には黒田職隆公廟所が佇んでいました。黒田職隆の筑前守の官位にちなんで地元では「筑前さん」と呼ばれています。廟の中には五輪塔が収められていて、もともとこの地にあった墓所を江戸時代に廟所に整えたものです。

市川を渡る山陽電車

市川の堤防の上に戻ると、ちょうど山陽電車が橋梁を通過していくところでした。

史跡の眠る妻鹿の街をもう少し歩いてみたいと思います。

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