せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

兵庫大仏と柳原を訪ねて(前編)

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所々、桜の開花の便りも届く頃、いかがおすごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

兵庫運河の眺め

前回まで、兵庫津を歩いていましたが、今回も兵庫運河の畔から散策を続けたいと思います。

古代大輪田泊の岩椋

運河の畔には巨大な石が置かれていました。こちらは「古代大輪田泊の岩椋」と呼ばれていて、平清盛が築いた経ヶ島の一部であるとか、古代の港湾設備や近世の護岸の一部であるとも言われています。詳しいことはわかっていないようですが、古くからここ兵庫を見つめてきた遺構の一つには違いありません。

能福寺

企業や住宅の建ち並ぶ街を歩くと、塀に囲まれた寺院がありました。こちらは能福寺です。

現在は街中にあり新しい堂宇の建ち並ぶ能福寺ですが、寺伝では平安時代の延暦24(804)年、最澄によって創建されたとも言われています。唐への留学の帰途にここ大輪田泊に着いた最澄は堂宇を建立し、薬師如来像を安置したとされています。能福寺が大いに栄えたのはやはり平安時代のこと。平清盛を始めとする平家一門の帰依を受けて、堂宇は拡大し当時周辺にあった「福原五山」の中でも筆頭の寺院とされました。

平相国廟

境内には平相国廟と呼ばれる平清盛の供養塔があり、今も平家との深いつながりを感じさせます。

兵庫大仏

能福寺と言えばこちらの兵庫大仏が知られています。

現在の兵庫大仏は二代目で、平成3(1991)年に再建されたものです。初代の兵庫大仏は南条荘兵衛なる豪商の寄進によって明治24(1891)年に建立されました。この大仏は太平洋戦争の際の金属類回収令で解体されてしまいましたが、再建の際には解体されて残されていた初代大仏の材料が一部に使われたそうです。現在の大仏は全高25mもあり、街中に佇む姿は存在感がありますね。兵庫大仏は奈良・鎌倉と並んで「日本三大仏」とも称されています。ただし、三大仏の奈良と鎌倉は固定として、残りのひと枠には高岡や岐阜が入るという説もあるとのこと。

大仏が見守る兵庫の街。次回ももう少し歩いてみたいと思います。