せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

西神丘陵の大寺院・太山寺を訪ねて(後編)

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新年明けましておめでとうございます
本年も山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史散歩」をよろしくお願いいたします

新年最初の更新は年末に訪れた太山寺の続きです。

奥の院への道

太山寺
の本堂の横手から太山寺川沿いに出てみました。
のどかな山間の寺院かと思っていましたが、川沿いに出ると意外と険しい地形を流れる渓谷が現れて驚いてしまいます。

閼伽橋

太山寺川の渓谷に架かるのは閼伽橋(あかばし)です。
渓谷に架かる朱塗りの太鼓橋が独特の雰囲気を醸し出しています。この橋の向こうが太山寺の奥の院です。

今も西神に佇む太山寺は南北朝時代に最盛期を迎えました。建武元(1334)年には大塔宮護良親王の令旨を受けて南朝につき、宗徒の活躍もあって発展しました。支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社と多くの僧兵を抱え、東播磨の一大法城となったようです。しかし、その後は戦火や時代の移り変わりの中で現在のような姿となっていきました。

稲荷舎

閼伽橋を渡ってすぐ現れたのが稲荷舎です。整備された本堂側とは違い、山の雰囲気が漂う中に立ち並ぶ朱塗りの鳥居は、どこか神秘的なものを感じさせます。

地蔵堂

奥にあったのが地蔵堂です。かつてはこのお堂の下から水が湧き出していて、霊水を汲む「閼伽井」があったそうです。先ほどの閼伽橋は赤いからそういう名前になったわけではないようですね。太山寺川の上流には鎌倉時代の作とされる磨崖仏が岩に彫られているそうですが、奥の院から直接行くことはできないようです。

太山寺の境内を眺める

本堂に戻り、太山寺の境内を眺めてみました。かつてはこれ以上の規模だったとされますが、今も大寺院の趣で、かつて大いに栄えたことを今に伝えているようです。

長い歴史を持ち、時代の移り変わりの中で変化してきた太山寺は今ものどかな西神丘陵に佇んでいます。

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