せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

紅葉の三木街道を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回、前回に続いて、板宿から妙法寺川に沿って三木街道を歩いてみたいと思います。

那須与一宗高公御墓所

萩の寺や北向八幡宮、那須神社から道路を渡った向かいに赤いのぼりが建ち並ぶお堂がありました。こちらは那須与一宗高公御墓所那須与一の墓所とされています。

墓所の境内

石段の先にはお堂があり、中には五輪塔があります。那須与一の墓は京都にあったものが栃木県に再建されていて、こちらが正式な墓とされています。一方、こちらの墓所には源平合戦の後、那須与一は出家して合戦で亡くなった武士たちを弔う旅に出ましたが、この地で病に伏し、亡くなったという伝説が残されています。

毘沙門天の碑

那須与一宗高公御墓所からさらに街道を進むと「國寶 毘沙門天妙法寺」の碑が道路の傍らに建っていました。

妙法寺

新道から集落の中にはいると、紅葉に彩られた寺院がありました。こちらが先ほどの石碑にあった妙法寺です。

地下鉄の駅名にもなっている妙法寺ですが、歴史は非常に古く、奈良時代の天平10(738)年の建立とされています。当時は広大な伽藍をもつ大寺院だったそうです。平安時代の治承4(1180)年には平清盛が福原の乾を守る「新鞍馬山」として寺領の寄進をし、大いに発展したそうです。

妙法寺の境内

妙法寺も紅葉の名所となっていて、訪れたとき境内は鮮やかな紅葉に彩られていました。これから冬が訪れますが、年が明けると伝統行事の「追儺式」が執り行われます。

清盛の庇護を受けて発展した妙法寺ですが、南北朝時代の正平5・観応元(1350)年の観応の擾乱の際に高師直の軍勢によって焼き払われてしまいます。江戸時代に再建されますが、多くの寺領は失われ、今は妙法寺川に静かに佇んでいます。

妙法寺の里を眺める

妙法寺から少し歩いたところから集落を見下ろすことができました。地下鉄西神山手線の妙法寺駅は実はこのすぐ近くなのですが、地下鉄駅とは別世界のような静かな山里の景色が広がっていました。

紅葉の名残を求めて、三木街道を歩いてみました。
これからの季節、厳しい冬が訪れますが、源平の頃からの歴史に彩られた山間の社寺には冬らしい趣を感じることができるのではないでしょうか。

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