せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・冑山を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路を歩いてみたいと思います。

出屋敷

船場川を離れて、住宅地の中を歩いていきます。この辺りは今では姫路の市街地になっていますが、古い地図では「出屋敷」との地名も見え、城下の外の集落でした。ただし、姫路城下に隣接していることもあってか、趣のある雰囲気が残されています。

街中の鳥居

新幹線の高架をくぐって歩いていると、住宅地の中の工場の裏手に石造りの鳥居がありました。
鳥居をくぐってみることにします。

冑山神社

鳥居の先にあったのは冑山神社です。

冑山神社は江戸時代の元禄14(1701)年に、当時の姫路城主・本多政武(忠国)が姫路城の裏鬼門を守るために建立したと伝わる神社です。この神社のある冑山は播磨国風土記にも記されています。伝説では、乱暴者だった火明命を、父親の大汝命(大国主)が置き去りにしようとしたところ、置き去りにされたことに気づいて怒った火明命が大汝命の乗った船を転覆させ、その際に船や積み荷が播磨の14の丘に落ちました。その時の丘の一つとしてこの冑山も「冑丘」として記されています。名前も船に載せられていた冑がこの山に落ちたことに由来しているとのこと。

冑山神社の境内

石段を上がった先に冑山神社の社殿がありました。
この冑山は兵庫県下で最も低い山とされていますが、石段は意外と長く、登り甲斐があります。

冑山からの眺め

冑山からは同じく播磨平野にそびえる手柄山を眺めることができます。ちょうど、青い稲をかき分けるように、姫新線の列車が通過していきました。

近世の姫路をたどって歩いていくと、古代の伝説に彩られた山にたどり着きました。
まだまだ厳しい状況が続きますが、お近くにひっそりと眠る古代の香りを訪ねてみませんか。

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