せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

播磨平野の戦争遺跡・鶉野飛行場跡を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、鶉野飛行場跡を歩いてみたいと思います。

対空用機銃座

林の中を進み、ため池のほとりに円形のコンクリートの構築物がありました。こちらは対空用機銃座の跡で、飛行場の防衛のために機銃を設置した施設の痕跡です。

巨大防空壕跡

大学の農場の傍にあったコンクリートの建造物は防空壕の跡です。こちらは基地内最大の巨大な防空壕で、中には発電設備があったそうです。
のどかな田園風景の中に草木に埋もれそうになっている戦争遺跡が点在している光景は色々と考えさせられるものがありますね。

鶉野飛行場

農場や民家のある集落を通り抜けると、周囲が開けました。はるか向こうまで草むした空き地が広がっています。こちらが鶉野飛行場の滑走路です。

鶉野平和祈念の碑苑

滑走路の傍らには石碑のある広場がありました。こちらは鶉野平和祈念の碑苑です。この地にあった鶉野飛行場の碑と白鷺隊戦没者の慰霊碑が建てられています。練習部隊だった姫路海軍航空隊ですが、戦局がいよいよ悪化した1945年にはここから「白鷺隊」と呼ばれる特攻隊が編成され、63名が鹿児島の串良基地から沖縄へと出撃していきました。

鶉野飛行場の滑走路

鶉野平和祈念の碑苑の近くからは滑走路跡に入ることができました。

戦後、飛行場は米軍に接収され、一部は農地として払い下げられましたが、滑走路などには警察予備隊(後に自衛隊)が進駐しました。しかし、本格的に基地として使われることはなく、現在は加西市の所管となっていて、貴重な戦争遺産として散策マップなどが制作されています。

局地戦闘機「紫電改」

滑走路の端、田んぼに囲まれた一角に真新しい建物がありました。この中には飛行場に隣接してあった川西航空機姫路製作所鶉野工場で制作された局地戦闘機「紫電改」の実物大模型が保管されていて、毎月第一・第三日曜日には公開されています。残念ながら訪れたときは公開日ではなかったので、田んぼの向こうから眺めるのみでした。

鶉野の田園風景

滑走路跡の周りには青々とした田んぼが広がっています。飛行場や航空機の工場があったため、この辺りも幾度となく米軍の空襲を受けたそうです。今ではぽっかりと空いた滑走路跡には涼しい風が吹き渡り、特攻隊や空襲の悲しい歴史があったとは思えないようなのどかな景色が広がっていました。

播磨平野の真ん中に戦争遺跡が点在する鶉野飛行場、戦後76年を迎えようとしている今、注目されつつあります。播磨であった太平洋戦争の記憶をたずねて訪れてみてはいかがでしょうか。

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